会員制ゲームバーの店主がこっそり教える オトナこそ知りたい「リアル友達の作り方」
【作リエイターズアトリエ(通称「作リエ」)】
テレビアニメ「ポプテピピック」のゲームパートを描き、映像制作やイベント主催など、フリーランスでマルチに活躍する山下諒さん。隔週水曜夜、各分野で活躍中のゲストクリエイターや美大生を招き、山下さんがMCとなって、「創作」をテーマに、ツイッターの「スペース」や「オンラインセミナー」で語らう企画が「作リエ」だ。
連載では、スペースで出た話題から、エッセンスを抽出してお届けする。未来のゲストは、今この記事を読んでいるあなたかも?
第36回のゲストは、会員制の秘密の飲食店「84」店長である橋本徹さんこと、ちょーかん さん。連日、国内外から幅広い年代の客が訪れており、「ちょーかんと話す」ことが来店目的である人も少なくない。年下からも「ちょーかん」と敬称なしで呼ばれ、砕けた口調で接されるのを歓迎しているようだ。山下さんも84のリピーターで、ちょーかんさんとは顔なじみ。
今回のテーマは「会員制ゲームバーの店主がこっそり教える オトナこそ知りたい『リアル友達の作り方』」。スペースアーカイブはこちらから。
最初から友達
「友達って、どうやって作ればいいんですか」。山下さんの問いに対し、ちょーかんさんはこう返した。
「友達ってそもそも、何なのかって定義が僕もあいまいなので......まこってぃー(山下さん)はどう思う?」
即答が難しい山下さん。少し考えた末、一つの線引きとして「結婚式や葬式に呼びたいと思うかどうか」とした。知り合った相手を「友達」だと認識するまでに時間がかかる、ガードが堅めのタイプだという。
ちょーかんさんは、なんと「最初から友達」派。つまり、「友達になっていく」のではなく、「出会った時から友達」という感じで、カッコつけず、誰に対してもノーガードで向き合う。どんなに年下相手でも、初対面の時から「タメ口でいいよ」と気さくに接するようにしており、すんなりと「あ、そう? じゃあよろしく」と返してくる人と出会えるとうれしいそうだ。
山下さんのことは、初対面の時に「なんて呼べばいい? じゃあ、まこってぃーね」と決めた時、もう友達だと思った、と振り返る。
相手と目線を同じにし、教わったことを面白がるのも重要だ。例えば、TikTokが世に出てきたばかりの時にもいち早く友達に教えてもらい、一緒に動画投稿に挑戦したそう。年齢を重ねると、どうしても上から目線になりやすいので、注意が必要だという。
ただ、「カッコつけないようにしよう。何ならカッコ悪くするにはどうしたらいいか」と考えるようになったのは、ちょーかんさんが40才になったくらいの頃。それまではどこかカッコつけてしまっていたが、「そういうプライドはない方がラク」と気づいた。最初からフルオープン、飾らず等身大で。これが人を惹きつけるポイントであるようだ。
25歳になったばかりの頃。肩パッド入りのジャケットがはやったバブル時代。皆で肩で風を切っていたそう
しかし、ちょーかんさん曰く「誰でも友達になれるわけでは、たぶんない」。苦手な人との付き合いが避けて通れない時、どのようにすればいいかはスペースにて(51:52~)。
会議中に「飲食店やれば?」
ちょーかんさん自身、友達は今後もますます増えていきそうだという。
海外から日本を訪れる旅行者を対象に、22年9月9日から実施している「84tour」は、ゲームクリエイターの直筆サインやイラスト、ちょーかんさんが40年かけて集めてきた貴重なアイテムが所せましと飾られた84店内を、90分間見て回れるサービス。ちょーかんさんと利用客とは、ツアーが終わればさようなら......ではなく、「84に来てくれた後も、連絡を取り合っている人がいたり」するそうだ。
今後、84tourにもっと力を入れていきたい、とちょーかんさん
ちょーかんさんは、社会に出ると同時に84を開いたわけではない。1984年4月に任天堂へ入社し、システムエンジニアとしてプログラムを組む毎日を過ごした。同社がビデオゲームビジネスに舵を切り、ファミコンを発売してから一年足らずの時期。「同期は全員ファミコンの存在を知らなかったが、翌年から『ファミコンの任天堂で働きたい』という若者が日本中からこぞって応募してくる」という、まさに一大転換喚期に居合わせた。
30才になった頃、営業をやってみたいと手を挙げ、「青森の僻地にあるタバコ屋さんにトランプを売りに行った」ことも。バックオフィスが長かったため、「外」がどうなっているのか実際に見て回りたい気持ちがあった。入社10年目に品質管理部へ配属が決まり、デバッグを通じてゲーム制作に関わるように。
任天堂には約12年務め、その後ゲームのデバッグを請け負う「猿楽庁」という組織を立ち上げた。
1998年に猿楽庁を立ち上げた
「猿楽庁」の名付け親は、コピーライターの糸井重里氏。ちょーかんさんが必死に考えた20案を見せ、この中から選んでくださいとお願いしたところ、糸井氏からはまさかのリアクションが。詳しくはスペースアーカイブにて(20:24~)。
84オープンへの道が突如拓かれたのは、ちょーかんさんが同社の長官(代表)を務めていた頃。しかも、重要な役員会議中だった。
「飲食店やれば?」
会議中にふっと頭にわいた言葉を、「はねのけなかった」。ちょーかんさんは「飲食店やろう」というより、「そうか、ボクは飲食店をやるんだな」と思ったそう。そうして2015年2月17日に84が誕生した。
84店内の壁。イラストやサインでぎっしり
多くの人に関わり、ゲームを通じて多様なクリエイティブに携わってきたちょーかんさん。作リエ恒例の質問「仕事をする上で最も大事にしている、クリエイティブの柱とは何か」という山下さんからの問いかけに対し、ちょーかんさんは、ネーミングやロゴデザインなど好きな仕事を手掛ける時に念頭に置いていることを明かした。
「どこにもないものを作る。ただし人に不快感、悲しみを与えることは作らない。ボクは大体自分に甘いけど(笑)、そういうデザインの仕事する時だけは厳しいです。妥協しない」
どれほど良いネーミング案がひらめいても、ネット検索でヒットした瞬間、泣く泣く切るという。オンリーワン、ユニークなものを生み出すことへの並々ならぬ熱意がある。
「カッコつけないのが、カッコいい」「人と違うからイイ」
スペース終了後の二人に話を聞いた。山下さんは、ちょーかんさんの「無理にカッコつけない」という姿勢が本当にカッコいいな、と感じたそう。カッコつけないことの難しさに触れ、こう話した。
「下手にプライドを持ってしまうが故に、いらないところでカッコつけてしまうことってすごく多いです。自分もその一人なのでこの言葉を肝に銘じようかなと思いました...!」
ちょーかんさんは「一方的に持論を展開するだけになってしまったので、もっとリスナーの皆さん個々に寄り添えたらよかった」と反省コメントを寄せた。
また「クリエイティブの柱」にも改めて言及。スペース中に「創作物はユニークであること、リスペクトはしても真似をするな的なことを言ったり言わなかったりしたと思うんですが」と前置きし、こう続けた。
「この『ユニークである』ということは、何も創作物に限ったことではなく、人は皆それぞれ自分自身もそうであるということを肝に銘じましょう。自分と人とは違っていて当たり前だし、違っていた方が面白い」
「人と違うからダメ」なのではなく「人と違うからイイ」のである、という。