ノーベル生理学・医学賞に「コロナワクチンの母」 カリコ博士を救った「テディベア」

   2023年のノーベル生理学・医学賞に10月3日、ドイツ・ビオンテック社の顧問で、米ペンシルベニア大学特任教授のカタリン・カリコさん(68)とペンシルベニア大学教授のドリュー・ワイスマンさんが選ばれた。

   カリコさんは、新型コロナウイルスワクチンに欠かせない遺伝情報の1つ、「メッセンジャーRNA」(mRNA)の研究を大きく発展させた、いわば「コロナワクチンの母」として知られている。

新型コロナワクチンの迅速な開発や大量供給を可能にした
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有力候補として有名だった

   NHKによると、ノーベル賞の選考委員会は授賞理由について「2人の発見は、2020年初頭に始まったパンデミックで新型コロナウイルスに対して効果的なmRNAワクチンの開発に不可欠だった」としている。

   その上で「mRNAが免疫システムにどう相互に作用するかについて私たちの理解を根本から変えた画期的な発見を通じて、2人は、現代における人類の健康に対する最大の脅威の1つだったパンデミックで前例のないスピードのワクチン開発に貢献した」と評価している。

   TBSによると、従来のmRNAは体内で異物と認識され炎症が起きてしまう難点があったが、カリコさんらはmRNAの一部を組み換えることで異物と認識されなくなることを発見。

   さらに、組み換えにより抗体を作る働きが大幅に増進することも発見した。この技術が確立されていたことが、新型コロナワクチンの迅速な開発や大量供給を可能にしたという。

   カリコさんは20年、米国の医学賞、ローゼンスティール賞を受賞している。ノーベル賞受賞者が多く受賞している賞だ。さらに21年には、科学分野で顕著な功績を残した研究者に贈られる「ブレークスルー賞」も受賞している。いずれもワイスマン教授との共同受賞だ。

   このほか、日本の慶應医学賞や日本国際賞なども含め、21年から22年にかけ世界各国で多数の科学・医療関係の賞を受賞している。

   このため二人は、21年、22年もノーベル賞の最有力候補とされていたが、まだコロナ禍が収まっていないことから受賞が見送られた、と推測されていた。

ドルを持ち出せない

   しかし、カリコさんの40年余りにわたる研究生活は、苦難の連続だった。

   ジャーナリスト、増田ユリヤさんの『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ社)によると、育ったのは、ハンガリーの首都ブダペストから東におよそ150キロ離れた地方都市。

   実家は精肉店を営んでいた。豚の解体などを間近で見る機会があったが、じっと観察しているような子どもだったという。小学校の5~6年生のころには、全国的な生物学のコンテストに参加して優勝したこともあった。

   大学で生化学の博士号を取得したあと、地元の研究機関で研究員として働く。しかし、研究資金が打ち切られたことから1985年、夫と娘の3人で米国に渡ることに。研究論文に関心を持った米国の大学から招へいされたのだ。

   ところが、当時のハンガリーは社会主義体制。外国の通貨を自由に持ち出すことができなかった。同書によると、米ドルは、わずか100ドルまで。

   これでは米国で生活ができない。闇ルートで車を売ったりして約1000ドルを作った。それをビニール袋に入れ、2歳の娘が持っていたクマのぬいぐるみ(テディイベア)の背中を切って忍ばせ出国した。見つかったら一巻の終わり。米国に到着するまで娘とテディベアから目を離せなかったという。

独の新興企業ビオンテック社に招かれる

   米国では、ペンシルベニア州のテンプル大学やペンシルベニア大学で研究員や助教として働き、「mRNA」などの研究に没頭した。

   しかし、研究成果はなかなか評価されなかった。助成金の申請を企業から断られたり、大学の役職が降格になったりもした。

   そうした中、ペンシルベニア大学で、コピー機を使う際に言葉を交わしたことがきっかけでHIVのワクチン開発の研究をしていたドリュー・ワイスマン教授(今回の共同受賞者)と知り合い、2005年、新型コロナワクチン開発に道をひらく研究成果を共同で発表することになる。

   しかしこの論文は、当時は注目されず、関連する特許を大学が企業に売却してしまう。

   多くの研究者がその可能性に気付かない中で、独の新興企業ビオンテック社がこの研究成果に注目した。

   同社に招かれたカリコさんは2013年に副社長、19年には上級副社長に。そして20年初頭、新型コロナの急拡大後、同社はいち早く「mRNA」によるワクチンを開発、ファイザー社と組み、大量製造が可能になった。モデルナワクチンも同じく「mRNA」を用いたものだ。

多国籍の研究者が協業

   もしもハンガリー出国の時に、テディベアに隠した米ドルが見つかっていたら、カリコさんは米国の地を踏むことができなかった。その意味では、テディベアはノーベル賞の陰の立役者といえる。

   そして、さらなる立役者といえるのが、カリコさんの研究に注目したビオンテック社の創業者、ウール・シャヒン博士と妻のエズレム・テュレジ博士(共同設立者)だ。二人とも医師で最先端医療の研究者。

   2020年12月19日の朝日新聞や、21年1月2日号の独Spiegel誌が二人のことを大きく取り上げている。同誌の内容を紹介した「さいたま記念病院」のウェブサイトによると、シャヒン博士はトルコ生まれ、4歳のときに母親と西ドイツに移住し、ケルン大学医学部を卒業した。テュレジ博士は西ドイツで生まれだが、父親はトルコ・イスタンブール出身の外科医。自身はザールラント大学医学部で学んでいる。

   シャヒン博士は2008年ビオンテック社を設立し、「mRNA」などを用いたがんの免疫療法を研究していた。20年1月中旬、新型コロナのニュースを聞き、大流行を予想。新型コロナの遺伝子情報が中国から発表されると、直ちにmRNAワクチン作成のアイデアが浮かび、2週間後には20種類(一部情報では10種類)のワクチン候補薬をコンピューター上で設計したという。以後、ビオンテック社の研究者を総動員して実用化に成功した。毎日新聞によると、同社では80か国以上の人が働いている。

   ハンガリーから米国に移ったカリコさん、米国のワイスマン教授、さらにはトルコ系ドイツ人をはじめとする多国籍の人々の共同作業で開発されたのが、世界中で多くの人に接種されてきたコロナのワクチンだった。そしてそこには「デディベア」もひっそり、しかし重要な役割を果たしていた。

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