深夜のドーナツ 松重豊さんは「端から端まで食ってやる」と

   クロワッサン(8月10日号)の「たべるノヲト。」で、俳優の松重豊さんがドーナツをめぐる思い出を書いている。

「眠れない夜だってあるさ。思春期、漠然と将来や人生に対する不安にさいなまれ 床についても寝付けない。はたまた昼寝をしすぎたか。仕方がないのでラジオの深夜放送に耳を傾ける。しかし日曜日はそれもやってない。自分以外は生息すらしていないかのような孤独感。窓外の線路を眺め、ときおり通る貨物列車を待ち続けた」

   なにやら詩的な始まりだ。いまならネットやSNSに逃げ込むところだが、筆者の思春期=1970年代にそんなものはない。そうした折、松重さんが住んでいた街に24時間営業のドーナツ屋が開店した。作中の表現「ドーナツは男性なのだと言い張るような店名」とは、70年代初頭、ダスキン主導で日本に進出したミスタードーナツである。

   同社公式サイトには〈日本人の暮らしぶりや食生活が大きく変わった時代(1970年代)。おいしさとくつろぎの時間をお届けするミスタードーナツはこの時代に誕生しました〉とある。松重さんの故郷 福岡にも変化の波がやってきた。

「眠れない夜でも、あそこに行けばドーナツを買うことができる。バイトのお兄さんと言葉を交わすことができるんだと思うと心強かった」

   そのドーナツは、中学生の筆者が小遣いで買える価格ではなく、店外から眺めるだけだったが、とりあえず種類の豊富さに驚いたという。そして「大人になったらあの棚の端から端まで食ってやろう」と思うのだった。

いまや全国に1000店を展開するミスド=東京都内で
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ミスドとケンタ

   そのドーナツ屋の隣に、恰幅のいいヒゲの外国人の人形が立つ唐揚屋ができた。

「今で言う『ミスド』に『ケンタ』が並んだ ありふれた駅前の光景だが、半世紀前には衝撃的アメリカンな景色だったのだ」

   ケンタッキーのほうにハマったのは松重さんのお母さんだった。チキン3個とサラダ、ポテトなどを箱詰めにしたセットの虜(とりこ)になったという。88歳になった母上は「あたしも今は、2個しか食えんごとなった」と言いつつ、元気に店に通っているそうだ。

   話はドーナツに戻る。「今でもドーナツは好きだ。いや今の方が好きだ」という松重さん。夢中になっているのは「北海道発祥のドーナツ屋」だという。

「最寄りの駅前に小さな店舗を構えている。東京はここ一店舗だけなので あまり評判になっては困る。ただでさえ4時前には売り切れているのだ。ふわふわでもちもち...」

   情報を総合すると、どうやら夕張名物のシナモンドーナツ(うさぎや菓子舗)らしい。穴がなく、中にあんこを詰めた饅頭型。まぶしたシナモンシュガーが絶妙のアクセントらしい。松重さんも心配しているので、東京での販売所は各自お調べいただきたい。

「いかん、ここに書いたせいでどこかに移転しないだろうかと考えたら、夜も眠れない」

変わるイメージ

   松重さん主演の「孤独のグルメ」(2012年~テレビ東京系)が深夜帯で始まった頃、就寝前に大写しされる旨そうな料理、旨そうな食べ方が話題になった。観てから食べに出られる時刻でもなし、視聴者に溜まるフラストレーション、寝かけた腹の虫を叩き起こすインパクトゆえ、SNSでは「夜食テロ」「飯テロ」と呼ばれた。

   さて、思春期の「眠れぬ夜」から始まる本作。福岡時代の語り口、横道に逸れて母親のケンタ通い、そして冒頭に絡めた落語のようなオチまで、安定の松重節である。コラムにせよエッセイにせよ、ツボを押さえた文章は安心して読める。

   タイトルは〈眠らない街の眠れない若者のため 深夜営業の店に並ぶ無数の穴〉とある。「穴」とはもちろんドーナツのそれである。個人の感想だが、ドーナツに深夜は似合わない、いや似合わなかった。昼下がりにふさわしい軽食だった。それが真夜中にも食べられるようになり、イメージ的にはやや大人びた。

   普通に穴があるのと、穴が無いあんドーナツ系のみという単純明快な時代は1960年代まで。いまやフレンチクルーラーにポンデリング、オールドファッションと、形状により洒落た名前がつく。ミスドの上陸と全国展開で、そうした新商品は津々浦々に広まった。他方、筆者が夢中の名物のように、希少価値が売りになる品も健在だ。

   ファストフードやチェーン店が変えたもろもろを 己の人生に重ね、松重さんは淡々と書き進める。短いがアナのない文章である。

冨永 格

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