SNSという地獄 橘玲さんは「それは望まれて生まれ来た」と
週刊プレイボーイ(4月10日号)の「真実(ほんとう)のニッポン」で、橘玲(たちばな あきら)さんが 科学技術の発展とSNSについて書いている。タイトルは〈SNSという「地獄」が誕生したのは みんなが望んだから〉と、何やら逆説めいている。
書き出しは「国民的マンガ」の基本ストーリーから...
「のび太君は、困ったことや欲しいものがあると、なんでもドラえもんに頼むようになります。ポケットから出された『ひみつ道具』で とりあえず願いはかなうものの、そのうち事態は思わぬ方向に進み、痛い目にあって反省する」
橘さんは「この作品が予言的なのは、テクノロジーの本質を描いているから」という。本質とは〈みんなが望むものだけが現実化する〉という法則である。
「自動車や蒸気機関車・電車、飛行機が発明されたのは、もっと速く移動できたらいいと思ったからです。エアコンは亜熱帯や熱帯でも快適に過ごすことを可能にし、医療の進歩は平均寿命を大幅に伸ばし、『いつまでも元気に』という願いをかなえました」
20世紀後半に始まった情報通信の大革命、とりわけインターネットの普及は、社会のありようや日常生活を大きく変えた。他方、回転寿司店での迷惑行為や暴露系YouTuber議員の除名などが続き、「SNSが社会を壊している」との声も大きくなっているという。
「炎上騒動から陰謀論の拡散、社会の分断まで、あらゆる場面でSNSが強い影響を及ぼしていることは明らかです。以前なら知り合い同士の噂にすぎなかった話題が、またたくまに全国ニュースになるという"異常"な事態に、わたしたちはまったく対処できていません」
思わぬ方向に転がり始めた「ひみつ道具」に戸惑うのび太君...である。
地雷に触れて
橘さんは、SNSをめぐる混乱は英語圏でより深刻だと見る。世界の英語人口は15億人とされ、日本の十数倍の人たちが日常的にSNSを使っている。しかも共通なのは言葉だけで、人種や国籍、民族、宗教、文化的背景を異にする不特定多数が バーチャルの「言論空間」を共有する。至るところで摩擦や対立が生まれるのは当然だ。
「どこに『地雷』が埋まっているかわからない...フォロワー数1億人を超えるようなSNSのセレブリティは...たんなる告知以外、ほとんど発言しなくなっています。どこでどのような反応が生じるか予測できないのなら、黙っているのがいちばん...誰かが『地雷』に触れ、炎上によって(心理的に)爆死する光景は、まさに戦場のようです」
しかし筆者は、それは現代人の自業自得だと強調する。そもそも「いつも誰かとつながっていたい」「自分の評判をすこしでも高めたい」という「夢」をかなえてくれるからこそ、SNSは世界中で広まったのではないかと。
「SNSは『地獄』かもしれませんが、それはわたしたちみんなが望んだからこそ、この世界に誕生したのです」
欲求は不滅
一時のニーズで発明(開発)してみたものの、人類の手に負えなくなったテクノロジーの最たるものは「核」だろう。その平和サイドを担う原発も、ひとつ間違えば制御不能になりうることが福島の事故で実証された。廃棄物の処理にも天文学的な歳月が要る。
橘さんは「失敗は成功の母と言うが、失敗とはある意味、役に立たない発明でもある」と書く。新しい結果を生んでも放置され、「母」にもならず忘れ去られた技術は多い。
その点、核兵器や原発はいまも現役であり、無用どころか不気味な存在感を放つ。もちろん、冷戦期を「核による平和」とする見方はあるし、原発が電力需要を賄ってきたのも事実である。だが核に関する限り、人類にとっては脅威のほうがはるかに大きい。
他方、SNSのほうはそれぞれが脱出できる「地獄」である。ユーザーがアカウントを消して卒業すればいいだけ。誹謗中傷や炎上のリスク、嫉妬や自己否定からも解放される。ただし、SNSの存在理由 かつ本質でもある「いつも誰かとつながっていたい」「自分の評判をすこしでも高めたい」という欲求は不滅だ。そうした欲求を容易に実現してくれるSNSの「極楽」を一度でも味わってしまえば、簡単には離れられない。
核の存在を前提とした国際秩序と同じように、SNSがあることを前提とした社会は容易に変わらないだろう。それによる数々の害毒は、回転寿司店の消毒作業のように、個人や社会がそのつど対症療法でしのいでいくほかない。
冨永 格