女同士の付き合い 桐野夏生さんは「お互い様」を重視する
婦人公論8月号の特集「友だちづきあいは細く長く、自由に」に、桐野夏生さんがエッセイを寄せている。世代や歳月とともに変化する人間関係の考察である。
前段は経験に基づく一般論。まずは、高校時代から50年付き合う友人たちのことだ。多くは主婦となり、三十代までは夫の転勤やら子育てで忙しく、物書きへの道を模索していた桐野さんとは疎遠になっていく。
「悩みの質が違う、と互いに思っていたのではないだろうか。今なら、SNSなどで簡単に繋がり続けることができただろうけれども、当時は年賀状やクリスマスカードの遣り取りで近況を知るか、噂で聞く程度だった」
再び親しくなるのは、皆がやっと落ち着いた五十代だ。「誰もが、ひと波乱乗りこえたというような充実した表情をしていた」という。付き合いが長ければ誤解や多少の諍いもあるのだが、互いの人となりを知るだけに関係が切れることはないという。
「若い頃の私は、仕事をしていたせいか余裕がなく、苛立つことも多かったから、扱いにくい友人だったに違いない。友人のひと言が気になって、眠れなくなることもあった...こちらの誤解だったり、被害妄想だったり...逆に、相手がこちらの言動に傷付いていたりすることもあるのだから、お互い様なのだ」
半分が消えて...
小説を書き始めた頃、桐野さんは物書きの年上女性と親しくなった。先輩と慕っていた彼女はしかし、初期の桐野作品を「軽薄だ」と批判する。「その表情や口調まで覚えているので、私はとてもショックを受けたのだろう。そのまま縁遠くなってしまった」
ところが先日、ある担当編集者に彼女から「私を覚えているか、桐野さんに聞いてほしい」と依頼があったそうだ。「もちろん、覚えている」
「健全な友人関係とは、相対的なもののように思う。つまり、傷付け、傷付けられ、である。そこが対等でないと、友人関係とは言えない。というか、続かない。だから、彼女と私は友人関係ではなく、単に私が憧れを持っていただけの人だったのだろう」
70年生きていれば、先立つ友も出てくる。二十代後半の桐野さんがシナリオ教室で知り合った3歳上のYさんは、4年前に他界した。物知りで読書家、しかもお洒落。小説や映画、音楽のほか、香水や着物のことまで、厭味なくいろんな世界を教えてくれる「先生」だった。
「誰にも言えないことを相談していたから、彼女は私の分身でもあった。気の強い私に辟易したこともあっただろうに、寛大で素敵な人だった。彼女の死とともに、私の半分も消えてなくなったような気がする」
もう一人、これまた分身のようなライター Mさんは昨年、緩和ケア病棟に入ったきり、コロナ禍で面会もかなわぬまま旅立ったという。
「YさんとMさんが亡くなって、私の半生は喪われたと寂しく思う日々である。友人も仲間も、皆大事な人たちだが、親友だけがいなくなってしまった。ということは、私も誰かの親友ではなくなった、ということだろう。誰かの親友になりたいと願う、今日この頃だ」
3人で十分?
「友だちづきあい」特集の冒頭には、編集部によるこんなリードが置かれている。
〈年を重ねて人間関係がわずらわしいと感じている人も多いでしょう。けれど、気心知れた友だちがいると生活が豊かになることも確か。本当に大事な縁だけを見極めて、互いに負担にならず、ときに支え合える関係を築きたいものです。さまざまな友だちのあり方から、心地よくつきあえるヒントを探りました〉
婦人公論だから、中高年の女性同士という前提か。その切り口で寄稿を頼まれたのが、昨年、女性初(!)の日本ペンクラブ会長に就いた桐野さんである。二十代で結婚出産を経験、三十代に小説を書き始め、ミステリーの人気作家になった。
作家という、いわば典型的な自由業における交友関係だから、一般化は難しいかもしれない。それでも「支え合い、時に傷付けあってこその友人関係」という結論は広く受け入れられるものだ。出会った時は主従や師弟でも、やがて対等の関係で熟成していく。キーワードは「お互い様」かもしれない。
それにしても、その死によって自分の半生が喪(うしな)われたと記すほどの親友とは、うらやましくもある。どれほど大切な人だったかは、いざという時の喪失感が物語るのだ。最近どこかの雑誌の「老後特集」で、友人は3人もいれば十分という見出しを見た覚えがある。なるほど、つきあいは男女とも量より質である。
冨永 格