「Wの悲劇」 阿川佐和子さんが体験した英語の発音 泣き笑い
婦人公論5月号の「見上げれば三日月」で、阿川佐和子さんが英語の発音をめぐる「勘違い話」を、これでもかと並べている。これが粒ぞろいで面白い。
北京での冬季五輪。フィギュアスケートのペア競技をテレビ観戦していた阿川さんは、実況放送に「?」を感じた。〈いやあ、見事なスロージャンプでした!〉〈スロージャンプ、距離も高さもありました!〉と感動している。男性選手が女性選手を抱えて氷上に放る大技である。しかし...「どこがスローなんだ?」
「優雅に跳んで着地するまで、スローモーションのように美しく跳ぶことが求められているジャンプなのかと必死に目を凝らす。わからんぞ、どこがゆっくりなのだろう...」
そして間もなく、スローとは「ゆっくり」(slow)ではなく「放り投げる」(throw)の意味なのだと気づいた。(ちなみに冨永は本作を読むまで「ゆっくり」だと...)
「知りませんでした。ただこれはアナウンサーが『th』の発音ができないせいではない。おそらくだが、日本語に存在しない発音は、より視聴者にわかりやすい音にして表現するよう放送業界で決められているのだと思われる」
阿川さんはホイットニー・ヒューストン(1963-2012)の日本公演を思う。何曲か歌った後の挨拶で、あえて日本風の発音で自己紹介してケラケラと笑い出す歌姫。「アメリカではいつも、ウィッニー・ヒュースタンと呼ばれているので」と続けたそうだ。
悩ましい「th問題」
「W」の発音に関するエピソードが続く。次は米国の地下鉄駅での昔話。「Woody's」というデパートを目指す阿川さんは「通りがかりの親切そうなご婦人」に尋ねた。「ウッディーズに行くにはどこから地上に出ればいいのでしょう」...繰り返しても通じない。アクセントを変えてもダメ。ようやく理解した女性は「オー、ゥウディーズね!」と。
「どこが違うんだ? でも違うらしい。日本語の『ウ』の発音と英語の『w』の発音はまったく別物らしいのだ。彼らにとって『w』はまず口元を、ディープキスをするかのごとくすぼめて尖らせて、それから『ウ』と発するような感覚と言えばいいのでしょうか」
この「w」問題と違い、「th」問題と「rとl」問題については、学校で叩き込まれたそうだ。ちなみに阿川さん、中高が東洋英和女学院、大学は慶応義塾の西洋史学科を卒業されている。それでも困難はつきまとった。
米国に1年滞在したとき、幼い子どもたちに絵本の読み聞かせをすることになった。「きかんしゃトーマス」(Thomas & Friends)である。
何度も登場する主人公の「th」をできるだけ正確にと思い、上下の歯の間に舌をしっかり挟んで音を出した。子どもたちが笑う。阿川さんはストーリーを楽しんでいるのだろうと自信を深めたが、思い違いだった。男の子が遠くの友だちを手招きして言った。
「ヘイ、ジム!...サワコがひどい発音で絵本を読んでいるから面白いよ!」
トーマスはむしろ日本語読みに近いらしい。子どもは容赦ない。
「英語の発音は実に難しい。ま、どの国の言葉も正確に発音しようと思えば難しいですね」
自虐ネタの鉄則
エッセイでもトークでも、いわゆる「自虐ネタ」で笑いを取るには鉄則が二つある。まずは自分を徹底的に突き放していること。ことさら貶める必要はないが、突き放し方に未練があると、つまり少しでも格好をつけると読者や聴衆は白けてしまう。
もうひとつ、筆者や話者にそれなりの地位や素養が備わり、そのエピソード以外では概ねマトモな人だと広く了解されていることである。ふだんは「ちゃんとした人」だからドジ話が面白い。日頃との落差ゆえに、遠慮なく笑えるわけだ。
阿川さんは書いても話してもそのへんの呼吸が絶妙で、安心して楽しめる。しかもご自身の体験や、見聞きした逸話が豊富である。
誰にも、外国語にまつわる失敗談や苦労話はある。それを記憶に忠実に、かつ面白く整理して読ませるには才能が要る。本作では記憶に新しい冬季五輪を枕に、たくさんの勘違いがイモヅル式に紹介されていく。ホイットニー・ヒューストン、ウッディーズ、絵本の読み聞かせとつなぎ、ベーブ・ルースを最近まで「べー・ブルース」だと思い込んでいた話まで、サービス精神旺盛な阿川ワールドである。
これは編集者の発案かもしれないが、夏樹静子(1938-2016)の代表作(1982年刊)になぞらえた「Wの悲劇」というタイトルにも感心した。
冨永 格