恋愛小説の真実 綿矢りささんは人生の指南書のように読んでいた

   LEE 4月号の新連載「ま、さじ加減でしょ。」で、綿矢りささんが恋愛小説について書いている。やや意外だが、女性誌でのエッセイ連載は初めてとのことだ。

「子どもから思春期の時期にかけて、小説も学校も教えてくれなかったことが一つある。それは恋愛小説に書いてあることが、ファンタジー小説やミステリ小説と同じくらい、フィクションだということ!」

   おませな文学少女だった筆者は、内外の恋愛小説やマンガを読みふけり、物語に出てくるような「キュンとする恋愛」への期待に胸を膨らませて大きくなった。

   ここで綿矢さんは、恋愛小説によくある三つのパターンを例示する。(1)偶然の出会いや片想いを経て、ドジで平凡な「私」の健気さをカッコいい彼が気に入りゴールイン!といったハイテンションな願望実現系の物語(2)自分にとって「特別な男性」を見つけた主人公が、自らの恋に酔いつつも個性的な人間関係を展開するアンニュイうっとり系の物語(3)大嫌いなアイツのことがつい気になり始めるラブコメ系物語...である。

「全方位のシチュエーションに憧れたまま満を持して高校生、大学生になったが、物語のように完成された恋愛に出会うことは、ついに一度もなかった」

   社会人になっても不発が続き、綿矢さんは遅ればせながら気づく。

「小説になるような大恋愛というのは人並み以上に恋愛に人生の時間を割く必要があり、山あり谷ありの困難に打ち勝っていけるだけの根性と運が必要なんだと」
「キュンとする恋愛」に期待してたけど
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玄人の恋に憧れて

   恋愛小説が好きすぎて、それを娯楽ではなく人生の指南書のように読んでいた...と振り返る綿矢さん。書く側に身を置いての実感でもあろう。波風もなく一緒になり、死ぬまで幸せに暮らす二人の話なんて一行で終わってしまう。だから長大な恋愛物語ともなれば、とにかく色んなことが起こる。いや、起こさないともたないのだ。

「戦争、身分違い、不倫、裏切り、死、心のすれ違い、致命的な誤解、心変わり。大なり小なりこの世の辛苦が一斉にふりかかってきたようなカップルの恋が、成就したり破滅したり、そりゃもう忙しい」

   だから、若い女性読者に「私もあんな恋愛してみたいです」と言われると、どこか申し訳ない思いが残るそうだ。「ありがとう、でもごめんなさい、もしかしたら地球上に存在しない感情を書いているかもしれないんです」

   他方、現実世界でも大熱量の恋は確かにあるはずで、駆け引きが交わされ、ドロドロの喜怒哀楽が渦巻くこともあろう。最後に、綿矢さんはこう思う。

「特に物語になりそうにない出逢いと別れだけでもクタクタになったのだから、百戦錬磨の猛者と同じ土俵に立つことになったら、その人が恋愛相手でもライバルでも完敗確定だ。恋愛小説みたいな玄人の恋に憧れるなんて、身分不相応も甚だしかった」

まだ手探りの印象

   高校時代のデビュー作『インストール』で文藝賞、19歳で『蹴りたい背中』が芥川賞(史上最年少)に選ばれた人気作家。今号では、巻頭に置かれた連載初回とは別に、筆者インタビューを軸に4ページの特集が組まれた。編集部の力の入れようがわかる。

   文壇最年少だった綿矢さんも、LEE(集英社)の読者層と重なる38歳になった。結婚して6歳の息子さんがいて、子育てに忙しい。執筆活動は早朝から家族が起きるまでと、子どもを保育園に送り出した午前中が中心だという。

   この新連載については「すす~っと読めて、少しミーハーなぐらいの話題がいいかなあと。親しい人と一緒に笑ったり、楽しんでいる感じで書いていきたい」と語っている。

   さて、その初回は恋愛小説の虚実についてである。恋愛小説を真に受け、恋に恋した若き日の綿矢さんに、プロの書き手となった20年後の綿矢さんが懺悔するような構成だ。ごめん、ほとんど全部フィクションなの...と。

   端正な筆致はファンを喜ばせるだろう。専門領域だけに、何をどう書いても説得力が伴うのだが、まだ手探りの印象だ。小説論的な硬さも残る。せっかくの機会なので、少し崩れた、わきの甘い綿矢さんも読んでみたい。次回を楽しみに待とう。

冨永 格

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