寒いお仕事 壇蜜さんはグラビア撮影から飛んで懐中汁粉にドボン

   週刊新潮(3月10日号)の「だんだん蜜味」で、タレントの壇蜜さんが寒い中での仕事をプロ根性たっぷりに記している。食をテーマとする長期連載。今回も曲折を経て懐中汁粉(しるこ)に至るのだが、ずいぶん遠いところから書き始めている。

「雪が降りそうな寒さの中、半裸のグラビアやイメージDVDの撮影を行うのは"普通のこと"だった。気温の如何にかかわらず、撮影は淡々と進められる。薄着、水着、下着に半裸などの露出がなくては成り立たない。だから極寒でも、被写体の私を含めてスタッフ一同は黙々と各々の仕事をこなしていくのだ」

   鳥肌が立てばカメラを少し引いてもらい、顔色が悪い時は画像処理で対応してもらった。雪山で襦袢(じゅばん)一枚になり、雪上に寝転んで雪にまみれる設定もあった。「寒すぎて記憶が飛んだ」ということだけ覚えている、という。

「時間も資金も無駄にできないぞ、という周囲に漂う真剣勝負感が、『寒すぎて脱げない』といまにも口にしたい気持ちをねじ伏せていた」

   凄まじい現場である。野外での仕事で、バッテリー稼働のヒーターが用意されていることもあった。たとえ数秒でも温まれば、次のシーンに臨む気力がわく。

「ヒーターから効率よく暖を取るためのちょっとしたコツがある。それはコートや毛布を脱いで、できるだけ裸に近い状態になることだ」

   スタッフがかけてくれた防寒アイテムをそっとわきに置き、熱が直接肌に届くよう、ヒーターの前で大きく両手を広げるのが常だったらしい。

あんこ好きにはたまらない即席しるこ
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天然の温もり

   ヒーターほどのパワーはないが、天然の温もりに癒されることもある。

   「自然光で温められた岩場や砂利道の熱には幾度となく助けられた...石の温かさを、こりゃありがたやと痛感した...岩場に腹ばいになって凍えた肌を束の間の温もりに甘えさせた」...壇蜜さん、温めた石を布にくるんで懐に忍ばせる昔人の知恵にも触れ、「懐中の温もりとは何と尊いものか」と。懐炉の原型とされる温石(おんじゃく)だ。

「ところで、懐といえば懐中汁粉を連想するのは私だけだろうか」

   紙幅の8割を超えたところで、ようやく本題である。懐中汁粉とは、粉末にした晒し餡を最中(もなか)の生地で包んだもので、皮を割って椀に入れ、全体に熱湯を注げば汁粉になる即席食品。もち米から作る皮がヘラヘラととろけ、餅の代わりを務める。

「便利さや絶妙な甘さの塩梅、湯にふやけた皮の背徳的な香ばしさ。"バリバリじゃなくてもいい?"と訴えるような皮を啜れば、ほのかなモチモチ感が奥歯にまとわりつく。懐中汁粉は罪の味」

   連載には毎回、自作の一句を添えるがお約束である。

〈空風が 最中割る音 強くする〉

三段跳びの構成

   こうしたコラムの魅力のひとつは、テーマの飛躍だろう。ただ、ひとつ間違うと散漫になり「こじつけ感」が残るため、それなりの筆力は要る。冬場のグラビア撮影から懐中汁粉へと、壇蜜さんもなかなか大胆な展開を試みた。

   遠く離れたスタートとゴールをつなぐキーワードは「防寒」そして「懐」だ。この二つを足場にして、全体が三段跳びのような構成になっている。跳んだり跳ねたりのバタバタした感じはそれほどなく、着地も砂場の中にちゃんと納まったと思う。

   いちばん面白かったのは、汁粉のくだりではなく、三段とびのホップにあたる寒中撮影の苦労話である。当人にしか語れないことだから、現場感、真実性が行間からにじむ。

   中には「男目線」のグラビア商売、撮影現場に漂う体育会系のノリを嫌悪する人もいよう。「露出がなくては成り立たない」と書いた壇蜜さんの真意は不明だが、モデルには当然ギャラが発生しており、スタッフ共々、納得しての「肉体労働」である。私はただただ「...寒そう」とつぶやきながら読んだ。

   しかし温石に懐中汁粉とは、地味というか渋いというか、どこか古風な彼女らしい。和のテイストと半裸でのお仕事のギャップこそが、新潮読者の真ん中にいるおじさんたち、多くは「襦袢ファン」であろう彼らを魅了するのである。

冨永 格

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