自転車の免許 疋田智さんは「税金つぎ込む前に教育を」と異議
Bicycle Club 3月号の「燃えよ自転車オヤジ」で、疋田智さんが「自転車免許」に反対の論陣を張っている。この論争、昨日今日に始まったことではない。コロナ禍で「密」回避の自転車利用が増える中、安全対策のひとつに再浮上しているようだ。
「繰り返し出てくるんだよ『自転車免許』の話。先日などは私の尊敬するビートたけし先生までがそれを言うんで、ちょっと聞き捨てならなくてとりあげる」
筆者によると、昨年12月19日にテレビ朝日系で放送された『ビートたけしのTVタックル』で、自転車の「危険運転」が話題になったらしい。
「自転車が危ない、ジャマだ、ルールを守らない、だから、自転車にも免許を!...コロナ自転車ブームと摩擦のなか...誰もが一度は考える話だ。一度は、ね」。疋田さんも地方講演などの際、地元議員あたりから議論を吹っかけられるという。
「免許とって、ルール守って走るというだけでしょ? いわば"当たり前"のことを当たり前にする、というだけの話だ」という疋田さん。自動車免許との比較を試みる。
「クルマ免許を持ってても、自転車に乗るときだけは右側通行上等、信号無視当然、の無法者になる。それが日本自転車の現状...ということは免許で変わるかな?」
お巡りさんから
自転車ライター、疋田さんの基本的な考え方はこうである。
「あえて刺激的な言い方をするなら、クルマというものは、免許が必要なほどに、危険で未完成なものなのである...車道を走る以上、免許が必要だ、ではなく、他者に対しての危険が著しく大きい車両に対しては、免許が必要だ、が正解なのだ」
自転車は原付よりも軽くスピードも出ないから、「自転車免許」の試験はかなり簡単なものになる。ほとんど意味のない新制度に税金をつぎ込む前にやるべきことがあるだろう、という疋田さん。まずは「自転車は歩行者ではなく、車両である」という教育だ。
「学校で、自動車の教習所で、免許の書き換え時、住民登録の際、やれる場はいくらでも作れる...免許というものは、教育がまずありきで、それでも無理なとき、はじめて議論すべき制度だろう...『自転車免許がある国』がどこにあるか」
筆鋒はさらに、お巡りさんたちにも向けられる。
「警察官乗車の白自転車は、まったく自転車のルールを守っていない。歩道を走るし、併走するし、ヘルメットもかぶってない...これで誰が自転車ルールを守るというのか...裏を返せば、警察官が自転車ルールを守り始めたら、その教育効果は強力無比だ」
嫌われ者にしない
そういえば、久しく自転車に乗っていない冨永である。日常的な移動手段は徒歩かマイカー、たまに鉄道、という感じなのだ。
歩道では、結構なスピードで追い抜いていくママチャリにヒヤリとする。前後に子ども座席をつけた電動アシストの重量級が多い。わが子の安全が第一の親心であるが、車道が空いている時はそっちを走ってくれないかと思ってしまう。
一方、クルマの運転中には並走する自転車に神経を使う。追い抜く時は、安全のため右に膨らみ、ついつい対向車線にはみ出すことになる。クルマなみの速さで飛ばすのは車輪が細いスポーツタイプで、たいてい若めの男性が乗っている。正面から向かってくる「逆走車」にドキリとさせられることも少なくない。
いずれにしても自転車は、日常的に乗らなくなった者には煩わしいか、怖い存在である。ただそんな私ですら、自転車に免許制度を持ち込むのは無駄だと思う。交通警察の仕事を増やすだけで、街頭での安全確保、とりわけ歩行者保護の効果は知れている。
皆が自転車に乗れるようになる小学生を対象に、学校での講習会など、疋田さんが主張する「教育」を徹底させるほうがいい。そのうえで法的効力のない「こども免許」を発行するのはありだ。自動車、自転車、歩行者の共存に向けて手っ取り早いのは、自転車専用レーンを増やし、互いの安全を物理的に向上させることだろう。
エコ推進の視点からも、自転車利用は社会にとって「善」に違いない。その主役が怖がられたり、嫌われたりするのは忍びない。
冨永 格