佐賀県大町町「2年で2度目」の大水害から3か月 元の暮らしはほど遠く

   佐賀県のほぼ中央部に位置する大町町。1950年代は炭鉱で栄えた。現在はのどかな風景が広がる。

   2021年8月11日以降、九州地方を中心に西日本で豪雨が数日間続いた。大町町では、町内を流れる六角川が氾濫して一帯は水没。多くの住民が避難を余儀なくされた。実は2年前も大規模な水害が発生し、ようやく落ち着きを取り戻しつつある時期だった。2年で2度目の大水害から3か月。記者が町内を取材して見えてきたのは、今も元の暮らしを取り戻せずに苦労する住民の姿だった。

11月初旬の大町町は静かな風景が広がっていた。8月の大雨の際、この一帯は水浸しになった
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続く家の修理、順番待ちの畳

「水が、この高さまで来たんですよ」

   自宅裏口の扉を開け、弥永博幸さん(70)が外を指さした。建物の壁には、ブロック塀よりも高い位置に一筋の「水の線」が残っていた。

   家に水が押し寄せてきた、あの日。腰の手術をして日が浅く、容易に動けなかったため2階に避難できない。しかも水の勢いは想定をはるかに超えた。夕方に救援要請してから自衛隊のボートに救助されるまで約4時間、弥永さんは1階の真っ暗な居間でテーブルの上に乗り、ギリギリの高さまで迫る水位に耐えて待つしかなかった。


左側の建物の壁に筋がついているのが、浸水時の水位。ブロック塀よりも高い位置にある

   記者が大町町の弥永さん宅を訪問したのは、11月初旬。被災から3か月がたとうとしていた。家の中は片付いていたが、聞けば「大工仕事がようやく終わりました」という段階。建具の工事は進行中で、取り替える新しい畳は「まだできていない」と明かす。近隣の業者には大勢の住民から注文が寄せられており、順番待ちになっているためだ。

   町内をめぐると、新築とみられる一軒家をあちこちで目にした。2年前の8月も町は水害に見舞われ、鉄工所の油が流出する事態となった。一部住民はこの後、家を建て直した。ようやく生活が落ち着いた矢先、再び被災。こうした家々には、人の気配がなかった。せっかく新しくなった住まいが水没し、まだ住める状態ではないようだった。

「もっと町民の声に耳を傾けてほしい」


水害に襲われた際の生々しい記憶を語る弥永さん

   街にあふれた水が引いただけでは、住民の暮らしは元に戻らない。この3か月、町民は暮らしの立て直しに懸命だった。

   弥永さんは地区の区長として各家庭を回り、住宅の被害認定に納得できない人たちの声を聞いた。被災者生活再建支援法が2020年12月に一部改正され、2年前の水害と基準が変わり、混乱もあった。判定によって支援金の支給額が変わる。弥永さんは「住民説明会を開いてほしい」と町長に相談、実現させたのだ。

「町長や町議は、被害を受けた家を回るなど動いてくれました。でも、もっと町民の声に耳を傾けてほしい」

   弥永さんは訴える。一方町役場では、大雨の後にもため池に地滑りの兆候が見られたため2度の避難指示発令となり、対応に追われた。各種支援の手続きを進める役目を担うなか、限られた人員で町民全てを訪問し、きめ細かなフォローを施すのは職員だけでは難しい。

   2年で2回目の被災に、町民の疲労は色濃い。氾濫した六角川の近くに住む女性は、高齢で一人暮らし。浸水時はボートで助け出された。その後自宅に戻ると、一軒家の中は泥だらけ。福岡県に住む息子とその友人が駆けつけ、半月かけて片付けた。

「2年前の水害では、家具を捨てずにとっておいたのです。でも今回は、2トン車4台分捨てました」

大雨で氾濫した六角川も、取材時は穏やかだった

   暑さがこたえる時期、2階の部屋でエアコンが1台だけ使えたため、そこで生活した。被災前は1階で寝起き、生活していたので、2階への階段上り下りが体の大きな負担となった。1階に戻れたのは、1か月以上が過ぎてから。ようやく熟睡できるようになったのも、この頃だと振り返る。近所の住民は、頻発する大規模水害に「次もまた来る」と話していると明かす。土地をかさ上げして家を新築したら豪雨、浸水した住民もいたという。

「こういう話を耳にすると、『ここには住めんばい』と思ってしまいます」

   気丈に話していた女性が、この時ばかりは悲しそうな表情に見えた。

「床上まで水が来ると、ガックリきますね」


家の中のは修繕は、まだ終わっていなかった

   玄関先で「どうぞ、おあがりください」と促され、靴を脱いだ。入ってすぐの部屋に入ろうとして、足を止めた。

   床と壁の木材がむき出しとなっている。床に置かれたベニヤ板を歩いたら、危うく踏み抜きそうになりよろめいた。廊下を渡って別の部屋も同様で、壁には水を吸ったと思われる断熱材がそのままになっていた。床下の土が見える。浸水したため、乾燥させている最中なのだ。

「家族と、水に浸かった家財を外に出していたら、カエルやムカデが家の中にいっぱい、流れ込んできていたんですよ」

   こんなエピソードを明かしたのは、千綿健司さん(50)。すべてが泥だらけで、片付けに疲れても「座って休憩する椅子がない。洗濯もできない。床上まで水が来ると、ガックリきますね」。

   大雨の夜、高齢の両親と妻はボートで救助してもらい、自身は家の2階に避難した。家族全員無事だったが、2年前の水害からようやく修復した自宅はまたも水にのまれた。


床をはがし、水没した地面を乾かす状態が続いていた

   住み慣れたこの土地を離れるつもりは、ない。だが「(水害は)毎年来ると思って住まないと」と覚悟している様子だ。自宅の再建も、「次」を見越してのものとなるようだ。一方で、足元の生活では水に浸かった部屋の床や壁がまだ未修理状態。「これから寒くなりますが」と水を向けると、「そうなんですよね。家の外から見るとなんともないのに、中に入るとまだ...」と困った顔になった。

   大雨が続いた夏から時は過ぎ、今では秋から冬へと季節が進んでいる。個々の暮らしを取材すると、一見しただけでは分からない3か月前の爪あとが、町のいたるところで刻まれたままだった。

(J-CASTトレンド 荻 仁)

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