枕に叫ぶ女 菊池亜希子さんは自己嫌悪に陥るたびに顔をうずめ...

   リンネル12月号の「へそまがり」で、モデルで物書きでもある菊池亜希子さんが、自己嫌悪について書いている。

「寝る前にふと昼間の自分の発言を思い出して、モーレツな自己嫌悪に襲われ、枕に顔をうずめて叫びたくなるようなことって、きっと誰しも一度ぐらいは経験があると思う」

   こう書き出した菊池さんは、自問自答を重ねていく。

「どうしてそこまで後悔を引きずるのか」「その自分の発言が本来の自分からフワッと外れていたりするから」「では、なぜ外れた発言をしてしまうのか」「その場の雰囲気とかテンポに流されやすいとか...勢いに身を任せてしまうのが大きな原因だと思う」

   実は菊池さん、周りのノリとは一線を画し、マイペースでじっくり話す人に憧れていて、自身もそうなりたいと考えているそうだ。

   最近も、年下ながら言葉を選んで話す女性に出会い、そのペースに合わせようと思いながらも間(ま)が耐えられなくなった。省みれば、彼女によく思われたいという一心でせっせと話しかけていた自分がピエロのようで、どうにも恥ずかしくなったという。

「それでも人間ってのは都合のいい生き物で、"枕に顔をうずめて叫びたくなる案件"も、ある程度時が経てば笑い話で済んでしまうようなものがほとんどなのだけど、私にはふとしたときに思い出す、どうやっても風化しない"枕叫び案件"があった」
やめとけば、よかったぁ…
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あなたはどっち?

   それは菊池さんが20歳の頃、雑誌モデルの仕事を始めた当時の経験である。

   専属ではないが、毎月のように呼んでくれる編集部があり、そこで同世代のモデルや、ライター、編集者、カメラマン、ヘアメイクやスタイリストなど、業界人との縁ができた。一期一会が多い仕事で、「いつものチーム」的な雰囲気は心地よかったと。

   編集部には男性の部員が2人いて、どちらもモデルや女性スタッフたちといい関係を保っていた。ある日、両人がいない撮影現場で、女性たちが彼らの話題で盛り上がっていた時だ。菊池さんは、初めて一緒になった若いモデルAに「Aちゃんはどっち派?」と聞いた。共通の話題がほかに浮かばず、咄嗟の問いだったという。

「彼女から返ってきたのは『どっち派とかそういうのはないよ』という至極真っ当な言葉であった。もう本当にその通りで、自分の軽はずみな発言が恥ずかしくて...」

   相手が笑顔でさらりと返答してくれたのが救いだったが、菊池さんは「どっち派とかないよ」という言葉を、20年近くたった今でもたびたび思い出すらしい。

「調子に乗って思わぬ所まで登ってしまって、急にハシゴを外されてハッとするこの感覚...仲のいい相手との会話だと、お互いに周りが見えなくなって、気づいたらふたりしてとんでもない所まで登ってしまっていたなんてこともあって、それってとても危険だ...自分の言葉があらぬ方向に飛んでいかないように...地に足をつけておかないと」

   「どっち派」問答から菊池さんが学んだのは、どちらかを選ぶことで他方を否定せず、どちらにもいい点があるという無難な結論に持っていくことだという。

「こんな私のことだから、これから先も"枕叫び案件"は発生するだろう。だけどそれもきっと、新たな自分との必然の出会いだと信じ、思い切り枕に顔をうずめて叫ぼうと思う」

成長の伸びしろ

   リンネルは宝島社の女性向け月刊ファッション誌、このエッセイは今作で59回目という長期連載で、39歳の菊池さんが、仕事や子育ての日々をつづっている。

   枕に顔をうずめて後悔する...いかにも女性を連想させる仕草である。男性がしない所作というわけではない。ただ、ひとり後悔する時も男なら、もう少し格好をつけるのではないか。私のような俗物はなおさらだ。

   就寝前、現にこれをやる女性はそれほど多くはないにせよ、職場でもプライベートでも、人間関係で苦労する30~40代の女性なら「あるある」のひとつと思われる。

   菊池さんが「どうやっても風化しない」という20年前のエピソード。筋だけ拾えば大した話ではないように思えるが、そこは当人にしか分からない「恥に対する感受性」のようなものが作用するはず。言葉を発した直後に反省できるのは成長の伸びしろがある証しで、作中の表現を借りれば「新たな自分との出会い」が期待できるということだ。

   思うに、中高年で地位のある人ほど、後悔はしても反省はなかなかしない。すなわち、自己嫌悪が成長につながりにくい。そもそも自己嫌悪なんてものを知らない。

   そう、枕に叫べるうちが花なのだ。

冨永 格

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