横綱白鵬が引退へ 多かった批判、iPad使い研究熱心、恵まれない子への優しさ
横綱白鵬が引退する見通しだ。2021年9月27日、NHKなどが報じた。大相撲史上最多の45回の優勝をするなど数々の大記録を打ち立てたが、最近はけがで休場することも多かった。取り組みや土俵上の振る舞いが「横綱らしくない」と批判されることもあった。白鵬とは、どんな人だったのか。
来日した時は体重62キロ
父親はモンゴル相撲の英雄。オリンピックのレスリングで銀メダルも取っている。したがって白鵬は、格闘技の才能には恵まれていたと思われる。しかし、来日してからの道のりは簡単ではなかった。体重62キロ。今よりずっと痩せていたからだ。稽古で徹底的にシゴかれ、一日3回、泣いていたという。
NHKは、そんな白鵬が大横綱になれたのは、「天性の体の柔らかさに厳しい稽古による力強さや卓越した技」を兼ね備えていたからだと分析している。
元日本経済新聞社会部記者の朝田武藏さんが100時間を超えるインタビューをもとにして書いた『白鵬伝』(文藝春秋)によると、白鵬は研究熱心。「考える横綱」だ。今日の勝負が終わると、すぐに、次の日の取組のことを考えている。
部屋に戻ると、手元のiPadで過去の取組映像を確認する。その作業に時間を費やす。いい時の立ち合いは全部iPadに入れてある。場所中は毎日、その繰り返しだという。
なお「途上の人」
白鵬自身は、横綱にまでなれたのは、「相撲の神様が認めてくれたから」だと語っている。朝田さんが「神様」の具体名を聞くと、すぐに「ノミノスクネね」と返ってきた。日本書紀によれば、野見宿禰は当麻蹴速(タイマノケハヤ)との激闘を制し、子孫が相撲司家となった。
朝田さんはこの激闘について、「打撃技が中心だった。双方、殴る、蹴る、投げるの応酬」「スクネが倒れたケハヤを踏みつけ、腰骨を折り、殺害してしまった」と記している。
現在の相撲からは考えられない荒々しさだ。白鵬の相撲については、勝った時の「ダメ押し」などが批判されたが、心酔する「相撲の神様」の凄まじさを顧みれば、可愛いものかもしれない。
白鵬は、「立ち合い不成立」を主張し、審判部から厳重注意処分を受けたこともある。白鵬は語っている。
「いろいろなもの(批判)を経験して耐えて、ある意味、私も成長した可能性もあると思うんで。...人間て、死ぬまで勉強だというじゃないですか。まだまだ人生勉強かもしれないね」
白鵬が尊敬するのは、戦前の名横綱双葉山だ。69連勝の記録のみならず、「心技体」がそろった不世出の横綱として後世に名を残している。残念ながら白鵬は63連勝に終わった。朝田さんは、「『品格と力量』を両立させる真の横綱道を求めて、白鵬はなお途上の人だ」と書いている。引退後の人生でさらに「心」を磨くことになるのかもしれない。
「お礼を言いたい」との連絡が
何かと批判されることもある白鵬だが、『その苦しみは続かない--盲目の先生 命の授業』(朝日新聞出版)には、白鵬の意外な一面も紹介されている。著者の竹内昌彦さんは幼少時にほぼ視力を失い、のち東京教育大学(現・筑波大学)の盲学校教員養成課程を卒業。岡山県の県立岡山盲学校の教頭などを務めた人だ。
加えて途上国の視覚障害者自立支援の活動もしており、2011年にモンゴル、15年にキルギスに盲学校を設立した。
日本の「按摩」をアジアの視覚障害者に教える活動にも関わり、とくにモンゴルとの縁が深い。現地にマッサージ師養成の学校もつくった。その話を耳にした横綱の白鵬から「お礼を言いたい」との連絡が入り、宮城野部屋まで出かけて横綱と話をしたことがあるという。白鵬は律義にも、その後のモンゴル帰国時にこの学校を訪問してくれたそうだ。
同書によれば、白鵬は北海道に田んぼを買い、寒さに強い稲をつくってモンゴルに送り、恵まれない子たちの自立を助けようという活動もしているとか。モンゴルには「白鵬基金」もあるという。「大横綱というよりも温かい心を持った一人の人間として、彼を身近に感じた」と竹内さんは記している。