コロナ余聞 ヤマザキマリさんはイタリアの店と常連の老人を想う

   婦人公論(6月22日号)の「地球の住民」で、イタリアと日本を行き来する漫画家ヤマザキマリさんが、コロナ禍で閉店の危機に直面する小さな食堂について書いている。

   筆者はイタリア北東部、ヴェネト州のパドヴァに家を持つ。ヴェネチアから少し内陸に入ったあたり。滞在時には週3回は通うというレストランが近所にある。オーナーシェフのフェルッチョから突然、短いメールが届いた。娘夫婦に任せた店の経営がコロナ禍で行き詰まり、ヤマザキさんが次に戻るまで続けられるかどうか、との内容だった。

   フェルッチョは若い頃、パドヴァの歌劇場近くにある店で働いていた。当時の客には1960年代に活躍した俳優や音楽家が多かったそうだ。

「彼の作るヴェネチア風レバー料理が評判で、それ食べたさに遠くからも客がやってくるほどだったが、結婚を機に独立して今の小さなレストランの経営をはじめ、そこはやがてリタイアした芸術家たちの集いの場となった」

   ヤマザキさんがこと細かに説明するのは、店の常連のひとりに、この随筆の「主人公」がいるからだ。米国からイタリアに戻ったヤマザキさん家族はフェルッチョの店に通い始め、「昔からの友人の生き残り」だと高齢の常連客を紹介される。脚本家だったという老人は大病のため足取りがおぼつかず、来店時は必ず介護者を同伴した。

「そのほとんどが若い女性であることに気がついたフェルッチョに『あんた、歩けないってのは嘘だろ』と問いただされて、二人で口論になった場面に居合わせたこともあった」
トマトソースのパスタはマンマ(母さん)の味
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人生を謳歌する笑顔

   聞けば、つましい生活を支え合った妻には先立たれた。ドイツで所帯を構えた息子はめったに帰らない。

「ひとりきりの老人の心の拠り所はフェルッチョの店だけであり、毎回そこで彼が頼むのはイタリアにおけるおふくろの味の定番であるトマト味のパスタだった」

   普段はふてくされてばかりの老人。グラス一杯の赤ワインとパスタで満腹になると、店主と口の悪いやり取りを交わし、最後は大声で笑い出すそうだ。

「子どものように楽しそうに笑うその顔を見ていると、こちらまで無性に嬉しくなってくる...酸いも甘いもさまざまな経験を経てきた老人の、それでも人生を謳歌しているかのような天真爛漫な笑顔は、少なくとも私にとっては、安堵と勇気を与えてくれる圧倒的な効果があった。どんなつらさや苦しみを経ても、人というのは人生の終盤においてこんなふうに笑えるものなのかと思うと、元気になれた」

   フェルッチョからのメールには、老人は入院中だと添えられていた。文面は〈店が閉まりそうなことを彼が知らなくてよかった...でも週に一度はトマトのパスタを作って届けているよ、私もあいつの楽しそうな顔が見たいから〉と結ばれていた。

広がりと奥行き

   特段の主張も、クライマックスもない文章。それでも冒頭から読者を引き込み、途中で逃がすことなく最後まで引っ張っていく。プロの技である。

   この短文からあえてメッセージを探すなら、コロナ禍のやるせなさとでもなろうか。しかしヤマザキさんの話は、感染症に苛まれる飲食店より、常連客の晩年にフォーカスされているため、物語にある種の普遍性が備わる。たとえば「人は人生の終盤にこんなふうに笑えるものなのか」という筆者の感嘆がそれである。

   無垢な子どもの笑顔は何物にも代えがたいが、人生の起伏を刻み込んだ、しわだらけの破顔一笑も味わい深い。そして孤独なその老人の笑顔は、唯一の「心の拠り所」であるフェルッチョの店でのみ見せる表情だろう。

   店主と客の戯れ合い、その店だけの料理、一杯のハウスワイン...そうした、たわいもない小さな日常をコロナは奪っていく。読者はフェルッチョの店の苦境を、近所の居酒屋や蕎麦屋に重ねて読むだろう。一編のエッセイは、そうして広がりと奥行きを得る。

冨永 格

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