おふくろの味 松重豊さんは給食に感激するも、がめ煮は忘れがたく
POPEYE 6月号の特集「ENJOY COOKING 腹が減ったら、料理をしよう。」の企画「オフクロの味」に、俳優の松重豊さんが一文を寄せている。
「小学校に入学して最も嬉しかったことは何か。僕は給食だと即答する」
文才豊かな俳優らしく、先を読みたくなる書き出しだ。
「今のような外食環境が整っていない昭和40年代の地方都市に育った僕にとって、それまでは食材も味付けも火加減すらも母親の作るものが世界のすべてだった。ところがそこに革命が起きた。クリームシチューやナポリタン、鯨の竜田揚げやら鯵の南蛮漬け。教室に貼られた献立表に胸を躍らせた。なにより格別に美味かった」
物心がついて5年弱、彼の味覚を支配したのは母の手料理であり、給食の嬉しさとはそこからの「解放」だったようだ。
しかし松重さんは早々に、そう思っている子は少ない、いや自分だけらしいと気づく。同級生のほとんどが給食をボロカスに言う。「残してはいけませんか」と泣いて先生に直訴する女子もいる。松重さんは「食ってやるよ」と助け船を出しつつ、何が気に入らないのか問うてみた。彼女いわく...〈だってママの作ったものと違うんだもの〉
他の級友からも同じような答えが返ってきた。
「僕が育ったのは地方(福岡市=冨永注)で田園調布や芦屋の話ではない。そんなに母親の作ったものが美味しかったのか。己を恥じた」
小学生の松重さんは、母の料理の美味さに気づかないまま過ごした何年かを反省し、これからは感謝を込めて家の献立や味わいに注目しようと思い立つ。
父親向けの献立で
そう思って帰宅した日の夕食、子どもにはやや渋い「胡麻鯖」だった。博多で何年か暮らした私(冨永)も懐かしいが、サバの刺身をゴマと醤油だれで漬けにしたもので、新鮮さが命の郷土料理である。茶漬けの具にもするが、何より酒の肴だと思う。
翌日の朝食は「おきうと」だった。エゴノリなどの海藻を加工したところてん状のものを短冊に切り、鰹節や醤油をかけて食す。これも酒に合う。
「隣で父親が旨そうに喰っている。今考えると涎がでそうなメニューだが、小学校低学年の子に分かるはずもない」...ここで松重さん、先ほど来の給食問題に結論を下す。
「父親の好きな献立で育った子は、実は給食に感動するということを、ここにお伝えしたい」...「そんな母親の料理の中でも、父親と小学生の僕の好みが合致したものがある。『がめ煮』である。北部九州の郷土料理で筑前煮とも言う。年中作るんだがお正月には尚一層気合の入ったものを作る」
筑前煮は根菜やこんにゃくを鶏肉と煮たもので、すでに全国区の料理だろう。松重さんの母上は御年86。いまは九州を離れ、東京で活躍する松重さんと二世帯住宅で暮らしている。食生活は互いに干渉しないというが、筑前煮は別らしい。
「正月だけは大量に『がめ煮』を作る。死んだ父親好みの甘辛い味付けで大量の大根も入っている。これが頗(すこぶ)る旨いのだ」
「孤独」の勢いで
企画「オフクロの味」では、松重さんら4人による1000字の随筆を、それぞれイラスト付きで掲載している。他はミュージシャンの高城晶平さん(ねぎ焼き)、女優の石橋静河さん(揚げないコロッケ)、作家のくどうれいんさん(どんぶり茶わん蒸し)だ。
母の味をテーマにしたエッセイとなれば、母との思い出を絡めつつ家庭の味を懐かしむのが定型だ。同じ思い出の味でも、給食と比べ相対化しているところが手練れの筆者らしい。子どもが育ち盛りになると、毎日の献立が子ども中心に回り始める家庭は多い。主役はカレーやハンバーグ、唐揚げ、スパゲティなどだろうか。松重家は違ったようで、母親は父親の好みに合わせて食事を用意したとみえる。
そうした環境で育った松重少年は、給食という「食の革命」にいたく感激したわけだ。パサつくコッペパンや脱脂粉乳など、子どもにも不味いと分かるものは例外的で、ほぼ旨かった。学校給食も「孤独のグルメ」の勢いで食べてもらえば幸せに違いない。
それでも、松重さんは編集部の要望にきっちり応え、オフクロの味である「がめ煮」を称えることも忘れない。一般的な筑前煮は給食で供されたかもしれないが、自分が好きなのは母が作った「がめ煮」なのだと。読後感も、これでいい味になった。
冨永 格