コロナの都心にて 中島京子さんはホテル2泊で食にこだわった
「ゆうゆう」5月号の「羊のところへはもどれない」で、作家の中島京子さんがコロナ下の都心でホテルに滞在した2泊3日を詳述している。
中島さんは昨年5月から、初の新聞小説に挑戦中。本作では明記されていないが、読売夕刊の「やさしい猫」だろう。その連載が「佳境で、煮詰まってしんどいので、気分を変えるためにカンヅメになることにした」という。作家のカンヅメとは、連載の締め切りに遅れぬよう、作家を出版社の社屋かホテルや旅館で「管理下」に置くことをいう。たいてい担当編集者が隣室か玄関で入稿を待つのだが、中島さんの場合「自主隔離」らしい。
「場所は赤坂。永田町に近いエリアで、東京に住んでいるわたしでも、ふだんはあまり行かない場所だ...文学賞の授賞パーティーでもあれば、出かけていく必然性もあるけれども、文学業界が利用するホテルは銀座あたりが多いのだ」
そのホテルは場所柄、政治家の利用が多い。中島さんも駐車場からフロントに向かう通路で、「〇〇先生が選挙のときに...」といった携帯の会話を耳にしたそうだ。
「インターネット環境もいいし、部屋にはなかなか座り心地のいいチェアもあって、狙い通り、執筆はサクサク進む。進んだはいいが、ハッと気がつくと、もう八時を過ぎている。緊急事態宣言下(二度目の=冨永注)の東京なので、八時には飲食店が閉まってしまうのだ」
中島さんはルームサービスを頼んだ。ニース風サラダに、ステーキハウスのハンバーガー。「おいしい。ちょっとぜいたくな巣ごもりって感じ。赤坂や六本木が近いのに、飲みにいくという選択肢はないから、まあ、ほんとにカンヅメ向きの状況だ」
怪我の功名?
翌朝、バイキング形式の朝食を済ませて「煮詰まりすぎてもいかん」と思った筆者は、西川美和監督の映画「すばらしき世界」を観に行った。ホテルに戻ってまた執筆。予定の枚数を書き終え、今夜こそ外食だと、午後6時前にホテルを出た。
訪れたのはトルコ料理の店。8時終了なので、中島さんのほかに客はなく、メニューも昼夜共通のセットだけだったが、ヨーグルト入りチキンスープ、チキンケバブ、キョフテ(トルコ風ハンバーグ)、サラダにバターライス。どれも美味しく、店の内装や音楽、トルコ人スタッフのお陰で外国旅行の気分を味わえた、という。
「でも、わたしがいる間、一人も来客はない。おいしいのに。コロナ後も生き残ってほしいから、テイクアウトランチでも買いに、また来ようかと思う」
中島さんは最終日の午前中、つまりチェックアウト後と思われるが、「予約なしではほとんど買えないというオーストリア銘菓」と、「すぐ完売してしまうので幻とも言われる老舗豆大福」を苦もなく買えたそうだ。「怪我の功名じゃなくて、なんというべきなのかわからないけれども...幸せな気持ちで帰路についた」
コロナによる外出自粛やリモート勤務の普及で、都心の人口密度は減じ、景色は一変した。そこで過ごしてみれば、思わぬ発見もある。
「望ましいのは、こんなに容易には人気商品が買えないような東京の活気が、この街に戻ってくることなのだろうと、お茶を淹れながら考えているところである」
食しばりで記す
「ゆうゆう」は、主婦の友社が発行するライフスタイル情報誌、今年で創刊20年になる。主要読者層はまさに中島さんと同年代、50~60代の女性と思われる。
本作に登場するホテルは、作中の情報から1986 年開業のANAインターコンチネンタルホテル東京(かつての東京全日空ホテル)らしい。六本木まで徒歩10分、赤坂の飲食街まで10分、永田町までも10分という、バリバリの都心立地である。
この作品は身辺雑記の随筆ではあるが、コロナ下の都心ルポでもある。第四波が到来した東京ではいま、三度目の緊急事態を迎えている。
東京に暮らす人にとって、都心ホテルでの連泊はそうそうない異体験だ。プロならこれで何か書けないかと考えるのが自然である。素人が日記風に書くと散漫になりがちだが、中島さんは「食」にこだわることでグサリと「縦串」を通している。
ルームサービスに朝食のバイキング、トルコ料理店、高級フランスチョコにオーストリア銘菓、そして豆大福。作中には世界の美味がちりばめられた。ついでに、ホテル暮らしの理由である「カンヅメ」も食料である。