岩手日報「震災風化させない」3.11新聞広告 「大切な人と話してほしい」
「大切な人と、今日、話そう。」。東日本大震災から10年となった2021年3月11日、岩手県の「岩手日報」が、こう題した新聞広告を出稿した。
10年前の3月11日に起きた無数の後悔を少しでもなくすため、「3月11日を、大切な人と話す日にしよう」と呼びかける内容だ。
新聞広告で人々を動かし、県民の日制定へ
岩手県は東日本大震災で、死者4672人、行方不明者1122人、合計5794人にも及ぶ人的被害が出た(いわて震災津波アーカイブ~希望~より、17年2月28日時点)。広告では、大切な人に「ごめん」や「いってらっしゃい」を伝えられずに会えなくなったら一生悔やむことになること、月日が経つと声を思い出すことが難しくなることを例にとり、些細なことを電話やメールでやりとりするだけでもいいので、「大切な人と話してほしい」と訴えている。
岩⼿⽇報のこうした取り組みは初ではない。3⽉11⽇を「⼤切な⼈を想う岩⼿県⺠の⽇」に制定することを提唱し、震災後から毎年広告を出稿している。17年からは「最後だとわかっていたなら」というテレビCMや新聞広告を毎年3⽉11⽇に出稿し、「⼤切な⼈を想う⽇」の制定への署名を3年にわたって募ってきた。
岩⼿⽇報が2017年に出稿した新聞広告「最後だとわかっていたなら」
「最後だとわかっていたなら」の広告はツイッターで話題になったほか、テレビCMは数々の賞を受賞。18年3⽉11⽇から集めていた署名数は2万3000を超え、岩⼿県条例「東⽇本⼤震災津波を語り継ぐ⽇」が県議会の全会⼀致で21年2⽉17⽇に可決された。
「岩⼿が岩⼿を⾒捨てることはあってはならない」
「岩手日報」は2017年から「震災を風化させない」を目的とした新聞広告を出稿するようになった。背景には、岩⼿県では同年に「早くも震災の⾵化がはじまっていた」ことがあるという。同社は発表資料で、こう説明している。
「被害が少なかった内陸部と被災した沿岸部との温度差があり『まだ震災のことを⾔ってるの?』という雰囲気が蔓延しはじめていました」
しかしその当時、岩⼿県の⾏⽅不明者はまだ2000⼈以上に及んでいた。岩手日報は「たとえ東⽇本で⾵化が進んでも、岩⼿が岩⼿を⾒捨てることはあってはならない」「震災の教訓や悲劇を忘れないでほしい」という思いから、新聞広告の⼒で⼈々に思い出してもらうきっかけをつくることはできないかと考えたという。
また2021年は新聞広告の出稿に加え、変わりゆく被災地の街並みを⾳楽で残すプロジェクト「岩⼿ after 10 years」を始動させた。震災前、震災直後、震災10年と、それぞれの街の⾵景に⾳符を置くことで、街が奏でる「復興10年の曲」をつくる年間プロジェクトだ。釜⽯の曲、陸前⾼⽥の曲、宮古の曲など、市町村ごとに曲をつくることで、2021年の⾵景をより詳細に残すべく、岩⼿⽇報は同企画への参加者を募集している。