バッハの「組曲」からバッハの凄さを考えてみる

   J.S.バッハの「イギリス組曲」や「パルティータ」の中の1曲を弾きながら、これはもうほぼ「管弦楽組曲の1曲だな・・・」と感じることが多くあります。ピアノで音を出してはいるのですが、頭の中では弦楽器や木管楽器の響きを想像しながら、弾いているのです。

バッハの鍵盤楽器組曲の最高峰、「パルティータ」の楽譜
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いろいろな注釈が必要

   これを説明してゆくと、まず、「組曲」という形式があります。主に仏発祥のもとは舞踊のため曲、仏で言うところの「ドイツ風」という名前の「アルマンド」、すらすら流れる、という名前の速い舞曲「クーラント」、荘厳なゆったりとした調子の「サラバンド」、そして、毅然とした雰囲気の「ジーグ」という4曲をこの順番で組み合わせ、それを骨格として、適宜サラバンドとジーグの間に「ガヴォット」とか「ブーレー」とか「ポロネーズ」とか「メヌエット」とか、同じく舞曲が起源のスタイルを持つ曲を挟み込み、全体として6、7曲からなる構成のものを「組曲」といいます。

   バッハは、「イギリス組曲」「フランス組曲」「パルティータ」という曲集を鍵盤楽器のために、「管弦楽組曲」を小編成の管弦楽のために残しています。しかし、さらにいろいろ注釈が必要です。

   例えば、鍵盤楽器のための組曲は、現代ではもれなくピアノで演奏されますが、ピアノが使われるようになったのは、J.S.バッハの息子たちの世代からですので、彼は、これらの曲を「チェンバロ」や「クラヴィコード」といったピアノ以前の鍵盤楽器のために書いたはずです。しかも楽器の特性がそれぞれ違うので、「この曲はチェンバロ」とか、「この曲集はクラヴィコード」という考えがあったはずです。残念ながら、どの曲がどの楽器を想定されて書いたかは、あまりくわしく判明していません。

「イギリス組曲」は後づけ

   「管弦楽組曲」は、現代では、小規模な室内オーケストラで演奏されますが、研究によると、バッハは更に小編成・・・ほとんど室内楽、といえるような編成を念頭に置いて書いたものと考えられています。

   さらにさらに、「イギリス組曲」は、「バッハがあるイギリスの貴婦人のために書いた・・」という伝記作者の記述により、習慣的に呼ばれるようになっただけですし、「管弦楽組曲」も、バッハが与えたオリジナルの題名ではありません。イギリス組曲は「アルマンド」の前に「前奏曲」が特別に付け加えられていますし、管弦楽組曲も「アルマンド」の前に「序曲」が置かれていて、どうやらバッハは組曲全体を当時の慣習に従って「序曲」と呼んでいたらしい・・・ということまで分かっています。「管弦楽組曲」と後の人が呼んだために、小編成にせよオーケストラで演奏することが慣習となっていますが、バッハは「序曲」と言う名の「室内楽組曲」を書いたつもりだったのかもしれません。

「音楽の父」と崇められる理由

   現代のクラシック音楽は、「交響曲」や「ピアノソナタ」など、ジャンル分けが比較的正確に、かつ、作曲家の指示通り行われていることが通例となっていますが、バッハ作品は現代でも頻繁に演奏されるのに、そのスタイルは、バッハオリジナルとは呼び方も楽器も編成も異なる・・というのが実情なのです。

   原典に忠実という意味からすれば、かなりアバウトなのですが、「音楽の父」バッハの作品は、ジャンルや楽器編成を超えて普遍的に素晴らしい、からなのです。

   私が、ピアノ曲としての「イギリス組曲」の1曲を演奏しながら、頭の中で、管弦楽が鳴ってしまう・・というのは、ある意味バッハの素晴らしさを味わう行為、といってもいいのかもしれません。

   事実、バッハより後の時代のショパンのピアノ曲をそのまま管弦楽にしたり、オーケストラの曲をピアノ連弾曲にしたり、という編曲は数多くありますが、オリジナルのほうがやっぱり素敵だな・・と感じてしまうことがほとんどです。

   「音楽の父」と崇められるJ.S.バッハの凄さは、こんなところにもあります。一言で言えば、彼は、楽器のためではなく、音楽そのものの素晴らしさを追求したのです。

本田聖嗣

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