SEKAI NO OWARI、ベストアルバム
過酷な世界にどう向きあうか
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
ポップミュージックの大きなテーマが「成長」であることはいつの時代でも変わらない。多感な思春期に音楽に目覚め、音楽を表現の武器とすることで思うようにならない時期を乗り越えてゆく。
作品だけでなく、その人たちの「生き方」も聞き手を励まし、音楽のリアリティになってゆく。
2021年2月、初のベストアルバム二枚組「SEKAI NO OWARI 2010~2019」を発売したSEKAI NO OWARIは、まさしくそんなグループだ。
「共同体」としてのバンド
SEKAI NO OWARIは、リーダーのNakajin(G)、Fukase(V)、Saori(P)、DJ LOVEの4人組。全員がFukaseを通した幼稚園から高校までの友人。85年生まれの3人と学年が一つ下というSaoriの4人である。結成は2007年、インディーズでのデビューは2010年。すでに紅白歌合戦にも5回出場、レコード大賞も6年連続で入賞している人気バンドだ。
というようなことだけで彼らを語れないのは、そこに「生き方」という大きな柱があるからだ。同時代だけでなくこれまでの日本のバンドとは違う音楽に対しての意識とテーマを持っている。初のベストアルバムは、それが何なのかという明快な答えではないだろうか。
SEKAI NO OWARIには、いくつもの異例がある。たとえばバンドでありながらドラムがいない、という編成もその一つだろうし、それ以前にバンドの成り立ち方をあげないといけない。彼らの「絆」と言ってもいい。Fukaseを中心にした幼馴染でありながら、それがバンド体験と直結しない。中学の時に幼馴染と組んだバンドで初めて文化祭のステージに立った、というような始まりではない。
Fukaseは2015年に出た公式ヒストリーブック「SEKAI NO OWARI」(ロッキングオン刊)の中でこう言っている。
「そもそも僕が『音楽がやりたくて』『バンドを集めてく』っていう人間じゃなくて。とにかく『仲間でできることとやっていきたいなあ』って思ってたんで」
「ライブハウス(clubEARTH)を作ったのもそういうところがあって。『何か目標に向かって仲間と一緒にやっていきたい』っていう気持ちが僕にとって先行したから...」(p054)
バンドをやるというより仲間と一緒に何かをやりたい。それがライブハウスを作ることにつながった。自分たちの演奏する場がないから、という理由より、「一緒に何かをやりたい」という場所としてのライブハウス。使われなくなった印刷工場の地下に手作りのライブハウスを作り、そこを拠点に半ば共同生活のような形で活動していた。その資金もメンバーそれぞれが自費で工面したことはすでに伝説化している。
単にライブハウス出身というのではない。音楽が自分たちの生活と一体化している。70年代風な言葉を使えば「コミューン」ということになりそうだ。「共同体」としてのバンドである。そんな風に始まって彼らのように成功を収めた例を他に知らない。
根底に流れている「優しさ」の理由
初めてのベストアルバム「SEKAI NO OWARI 2010~2019」は2枚組全30曲。DISC1は2010年4月に出たインディーズ時代の1枚目のアルバム「EARTH」の一曲目「幻の命」で始まっている。歌われているのは「生まれなかった命」だ。病院で「死んだ」幻の命に対しての「僕からの賛美歌」。デビュー曲やアルバムのテーマ曲が「死」だったメジャーなアーティストは荒井由実しか思い浮かばない。
彼らが取り上げている「命」は、「人間」に限らない。DISC1の2曲目「虹色の戦争」は、やはりアルバム「EARTH」の二曲目だ。
生物達の虹色の戦争
貴方が殺した命の歌が僕の頭に響く
「花」や「虫」などの生物達にとっての「戦争」。それは、自分たちを殺す人間と戦うこと。その「戦争」は世界中の誰もが「知っている」のに世界中が「感じない」戦争である。
そんな歌にかつての70年代のヒッピーたちが唱えていた「自然志向」や「Love&Peace」を重ねることも出来るかもしれない。5曲目の「Love the wars」では、こうも歌っている。
ラブandピース 美しい世界 幸福な世代
僕たちは確実にな「何か」を失った
アレ?ちょっとなんか変だ僕たちは何を忘れてる?
あ、そうだ「LOVE」はどこ
バブルに一直線だった1980年代生まれ。何が正義で何が悪なのか。教科書的な一元論や美辞麗句のスローガンでは解決しない。体制反体制のようには単純には分けられない。
「僕らはいつも『答』で戦うけど 2つあって初めて『答』なんだよ」と歌うのはDISC1の4曲目「天使と悪魔」だ。
4人の関係性の中でそうした「世界観」を言葉として共有しているのが詞を書いているFukaseとSaoriだろう。
インタビュー集「SEKAI NO OWARI」の中のSaoriの「深夜に『死刑論についてSaoriちゃんはどう思う?』みたいな電話がかかってきたり。そういうことばっかり話してたからずっと真面目に考えてたなって思う」(p299)という高校時代のFukaseについての話は象徴的だった。
杓子定規な高校を中退してアメリカに留学したものの精神を病んでしまって帰国、強制的に入院させられていたFukaseにとっての「世界の終わり」。そこから始まるという意味で彼にとって一番ポジティブな言葉がバンド名になったという話も広く知られている。DISC1の7曲目「銀河系の悪夢」は、その頃のことを歌っている。
人から分かってもらえないことがどのくらい絶望的なことなのか。DISC1は彼らの音楽の根底に流れている「優しさ」がどこから生まれてきたかを物語っている。
Kidsの頃の自分たちに向けた歌
初のベストアルバム「SEKAI NO OWARI 2010~2019」はDISC1とDISC2で印象が変わる。
思春期の「なぜ」「どうして」という疑問がそのまま歌になったようなDISC1の曲たちの成長した姿がDISC2のようだ。一曲目の「RPG」は、「怖いものなんかない 僕らはもう一人じゃない」と始まっている。Saoriが詞をNakajinが曲を書いている3曲目の「プレゼント」には「ひとりぼっちになりたくない」と「ひとりぼっちにさせないから」というそれぞれの側の歌だ。
彼らのオリジナルアルバムは4枚。2019年に二枚同時に発売された「Eye」と「Lips」はそうした成長を感じさせるものだった。
「ベストアルバム」DISC2の8曲目の「LOVE SONG」は、「Eye」の一曲目だ。こんな風に始まっている。
いつの時代もいるんだ
「大人はいつも矛盾ばっかり」とか「嘘ばっかり」って言うKids
いつだって時間はそう
諦めを教えてくれる
君達をいずれ
素晴らしい大人にしてくれる
Kidsに向けた視線は、もうKidsの頃のものではない。時が経つことで変わってゆくこと。たとえば、なぜスカートが短くてはいけないのか、なぜ男の子は許されて女の子は許されないのか。なぜこの国では悪であの国では正義なのか。なぜ偉い人は咎められずそうではない人は罰せられるのか。
そんな素朴な「なぜ」にがんじがらめになっていたKidsの頃の自分たちに向けた歌でもあるのだろう。
音楽が友達を作る。ひとりぼっちじゃないことを教えてくれる。
アルバム制作中に出産したSaoriはツアーのステージで「メンバーのみんなが子供を受け入れてくれて、多くの男子バンドの中の女子が感じる疎外感を感じなかったのが嬉しかった」と話していた。
「子供はみんなで育てる」という在りようも彼らの成長の証であり「共同体としてのバンド」の未来でもあるのだと思った。
ベストアルバム最後の曲「RAIN」は、こう終わっている。
雨が止んだ庭に 花が咲いてたんだ
きっともう大丈夫
そうだ 次の雨の日のために 傘を探しに行こう
過酷なこの世界にどう向き合ってゆくのか、そして、どう大人になってゆくのか。
かれらの残した歌はそのための希望でもあるのだと思う。
(タケ)