なぜ節分で「鬼は外」と言うのか コロナとつながる意外なルーツ

   節分の行事でなぜ「鬼は外」というのか――。ルーツは中国で古くからおこなわれていた「大儺」という行事だ。「節分」とは「季節を分ける」という意味で、新年(立春)の前日である大みそかが節分の日。中国では、一年の締めくくりである節分の日に「疫病(感染症)」や「鬼」を追い払う行事が行われていた。

「鬼」の起源とは
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疫病が拡散するインフラができていた

   「大儺」が日本に8世紀ごろに持ち込まれ、「追儺」(ついな)と呼ばれる宮中行事として定着。疫病を引き起こす鬼を、日本の領域の外に追い出そうという儀式となった。

   J-CASTで紹介した『天変地異はどう語られてきたか――中国・日本・朝鮮・東南アジア 』(東方選書)の中で、日本史学者の細井浩志・活水女子大学教授が、背景事情を詳しく解説している。

   当時の日本では中央集権の律令国家が成立し、道路網が整備され、人々の広域的な活動が盛んになっていた。そのため、いったん疫病が持ち込まれると、短期間に流行が国内各地に拡散しやすいインフラが出来上がっていたという。

   当時しばしば大流行した疫病は、朝鮮半島や大陸経由で持ち込まれることが多かった。705年の疫病流行では、直前に新羅から貢調使が来日していた。737年の流行は、日本から新羅に行った遣新羅使が持ち帰ったといわれる。この時は、平城京の貴族4割が罹患して死亡、政権は危機的な状況に陥った。

   したがって、「鬼」とは、外国から来た疫病神のことでもあり、「鬼は外」には、日本と外国を分けて、外国を疫病がやってくる場所として警戒する考え方が反映されているのだという。まだウイルスのことを知らなかった時代の、人々の自衛の知恵が「鬼は外」だったといえそうだ。コロナ禍の、渡航・入国禁止ともつながる一面があるかもしれない。

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