ベートーヴェンのもう一人の超人モデル「ファウスト博士」
先週はベートーヴェンの「人知を超えた超人モデル」としてのプロメテウスを取り上げましたが、もう一人のキャラクターに今週は登場してもらいましょう。ゲオルク・ファウストです。
神話の神プロメテウスと違って、ファウストは16世紀前半のドイツに実在した錬金術師で、錬金術の実験中事故で爆死した・・という戦国時代の松永弾正久秀のようなエピソードでも語られる人物です。彼が脚光を浴びることになったのは、もちろんゲーテが「ファウスト」で彼を主人公としたからです。
様々な作曲家を魅了した
ゲーテはファウストを「この世のすべてを知り尽くした理知的な超人」として描き、その飽くなき探究のために、現世でのあらゆる力と経験を得るために、自分の魂を死後悪魔に譲り渡すという契約をして、悪魔メフィストフェレスと旅に出る・・というのが大まかなあらすじですが、この物語と特異なキャラクターは、さまざまな作曲家を魅了し、沢山の曲を生み出す原動力となります。モデルが「超人」のため、「超人思考」が強い作曲家たちが、この物語に惹かれることが多くなりますが、その最初の人は、同時代人のベートーヴェンです。
ゲーテが「ファウスト」の第1部を正式に出版したのは1808年ですが、それ以前からスケッチのようなもの発表されていて、若い頃からゲーテを敬愛していたベートーヴェンは、それを読んで早くから彼の紡ぎ出すファウストの物語に魅了されていたようです。20歳台から作曲していたものをまとめ、1809年に6つの歌 作品75の3曲目として「メフィストの蚤の歌」を発表しました。
「ネズミの歌」に「蚤の歌」を返す
「蚤の歌」は、ファウストの物語で、もっとも有名な一場面です。ライプツィヒのアウエルバッハの酒場で、怖いものなしの大学生が騒いでいるところに、旅の途中のファウスト博士とメフィストフェレスが現れ、大学生が「ネズミの歌」で挑発し、そのお返しとしてメフィストフェレスが「蚤の歌」を歌います。歌詞の内容は、王様と彼の寵愛を受けている蚤、という奇想天外な内容ですが、文字通り人間が束になってもかなわない悪魔メフィストフェレスのキャラクターを浮き立たせる内容となっています。
孤高の芸術家は多かれ少なかれ「超人的」であったり、「悪魔的」であったりします。ベートーヴェンは、芸術的探求において超人ファウスト的であり、音楽のことを最優先にするあまり、そのためなら、メフィストフェレスに魂を売ってしまいかねないほど、芸術に情熱を傾けました。そして、見事にその成果は「作品」として結実し、後に続く音楽家たちに大きな影響を与えるのです。つまり、ベートーヴェンは、音楽歴史上の「ファウスト」の一人といえましょう。
本田聖嗣