松任谷由実「深海の街」
きっと人間には愛しか残らない...
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
「この時代、いつどうなるか分からない。だから、たとえ最後のアルバムになっても胸を張れるようなクオリティを目指しました」
松任谷由実は、2020年12月1日に出た39枚目のアルバム「深海の街」のオフィシャルインタビューの中でそう言っている。
そんな風に思ったのは、彼女だけではないのだと思う。
今、音楽などやっていていいのだろうか、この先も同じように音楽をやっていられるのだろうか。残された時間が限られていると思い始めた大御所と呼ばれるアーティストにとっては、いやおうなく「終わり」を意識させられる年になっているのではないだろうか。
ほとんど自宅スタジオに籠っての作業
「深海の街」には、今までの彼女のどのアルバムにもなかった神聖な光が射しているように思った。
アルバム「深海の街」は、去年から準備が進んでいたのだという。
その時は、1980年に出た「SURF & SNOW」の40年後の続編の予定だった。夏のサーフィンに冬のスキー、彼女の歌で季節が変わる。若者たちの間で「リゾート」という言葉が一般化するきっかけであり80年代の豊かさを先取りしたようなアルバムは「世は歌につれ」という稀有な例となった。
新作アルバムは、そうしたリゾート感を「脳内バーチャル」で体感させようというコンセプトだったそうだ。最新のテクノロジーを使って居ながらにして旅の気分を味わわせてくれる音楽。時代の最前線を走り続けてきた彼女にしかできない試みになるはずだった。
その渦中に出された緊急事態宣言。作業はすべてストップし、アルバムの内容も変わった。彼女は、そのインタビューの中で、「4月、5月は家から一歩も出なかった、アーティストとして機能していなかったし、何よりも人と自由に会えないのが本当に辛かった」と、こうも言っている。
「製作中、時々、突き上げられるような不安から泣きそうになる場面もありました。それでも、このアルバムを通じて、私は私自身を立て直したのだと思います」
とは言え、アルバムタイトル曲「深海の街」は、去年からテレビのニュース番組のテーマとして流れ配信シングルにもなっている。「コロナ渦」以前に作られた曲だ。「深海」というのも「脳内リゾート」のイメージの一つだったという。
優れたソングライターの書く歌は、その後の状況を予知していたように聞こえることが少なくない。「深海の街」もまさしくそんな一曲だ。光の射さない深海の静けさの中で、切れ切れに聞こえる孤独の呼び声に耳をすます。そんな描写は、誰にも会えない2020年に重なり合った。それは、ほとんどの作業を自宅のスタジオに籠って行ったという彼女自身の日々でもあったに違いない。
松任谷由実らしさが凝縮
松任谷由実が日本の音楽シーンに切り開いた扉、与えた影響や功績は大別すると四つだと思う。
1・職業作家や男性シンガーソングライターには書けない女性の感覚を歌にした。
2・ピアニストならではのヨーロピアン調やクラシカルな作風を確立した。
3・コンサートに「ショーアップ」という要素を持ち込んでエンターテインメントにした。
4・テーマやストーリーを持ったコンセプトアルバムという概念を形にした。
新作アルバム「深海の街」は、そういう意味でも彼女らしさが凝縮されている。
たとえば一曲目は「1920」という年代で始まっている。彼女の母が今年、100歳を迎えたということがきっかけだったという100年前の時代へのイマジネーション。人類史上最も多くの死者を出した感染症、スペイン風邪や、第一次世界大戦で焦土と化したベルギーで行われたアントワープ・オリンピックという年はコロナと東京オリンピックに翻弄される今の日本と重なり合う。
それでいて出来事を追うのではなく、失われた時の中に閉じ込められた写真の記憶と語り合う。そんな世界は改めて80年代の「時のないホテル」や「REINCARNATION」などの名盤を思わせた。輪廻する時間。「1920」に続く2曲目の「ノートルダム」は、去年4月に焼失したフランスのノートルダム寺院がモチーフになっている。
ユーミンとフランス。74年にはフランスのシンガーソングライター、フランソワーズ・アルディへの思いを歌った「私のフランソワーズ」もあった。彼女のヨーロッパの水彩画のような作風は、アメリカの影響が強かった当時のシンガー・ソングライターとは明らかに一線を画していた。
焼け落ちた寺院とコロナ渦で喪に服しているヨーロッパの情景。歌詞の中のこんな一節は若い頃には書けなかっただろう。
「重なる白骨を引き離すとき
砂になって崩れる」
「ノートルダム」には、こんな一節もある。
「いつしか惹かれ合い 愛し合った
燃え上がる炎みたいに
いつまでも消えない」
同じラブソングでも年令や状況によって変わる。「恋の炎」が、900年近い歴史を燃やし尽くした「火災」と重なる。別れや旅立ち、失うことや忘れてゆくこと。そして、そこからまた歩き出すということ。聞きなれた言葉や多くの人に使われている言葉でも前後の文脈やメロディーやサウンドで違って聞こえる。
何よりもそうした背景の中での彼女の歌自体が、「今」を引き受けたような重みとともにある。
それでいて今まで試みたことのないスタイルにチャレンジしていることも触れないといけない。
メロディー先行で音楽づくりを続けてきたシンガーソングライターが、パートナーのプロデューサー&アレンジャー、松任谷正隆が打ち込んだトラックを聞いてから曲を書くというヒップホップ系の人たちが行っているようなやり方も行っている。それもSTAY HOMEという状況を作品に記録した例ということになるだろう。
どんな状況でも新しい音楽は生まれてゆく。「会えない」からこそ分かる「会いたさ」。「人と人」の距離に対する切実な愛おしさが、ラブソングに新しい意味を加えてゆく。
「ノートルダム」は「歩いてゆこう」と語りかけるような言葉で終わっている。
「深海の街」はこうだ。
「帰らないと言った
出逢う以前のあのふたりに
待っていると答えた
君の帰りを永遠に」
もうあの日には戻れないのかもしれない。
でも、永遠に待ち続ける。
彼女は、オフィシャルインタビューの中でこうも言っている。
「きっと私たち人間には愛しか残らない。そして、私には音楽しか残らない。願わくは、100年後を生きる人々がこのアルバムを聴いて『かつて日本のシンガーソングライターが、コロナ禍の当時、こんな音楽の記録を残していたのか』と感じてもらえたら」
1920年、2020年、そして、僕らがもうこの世にはいない2120年。その時、地上に愛は残されているだろうか
(タケ)