掃除の快感と効用 星覚さんがプロとして勧める時間帯は「朝食後」
婦人画報12月号の企画「プロフェッショナルのお掃除を学ぶ」に、ベルリン在住の雲水、星覚(せいがく)さんが一文を寄せている。この企画、コロナ禍のため家で過ごす時間が増え、これまで目にとめなかった汚れが気になる人も多いはず、というコンセプトだ。
その冒頭を飾る星覚さんのアドバイスは、題して「掃除を通して、身心を自然に重ねる」。慶応義塾大学を卒業し、曹洞宗の大本山、永平寺(福井県)で3年修行した星覚さん。禅を世界に伝えるべく、内外で幅広く活動中である。
禅寺では、入門したての新米も、古参も老師も、毎日一緒に掃除をする伝統があるという。「プロ」に掃除を学ぶ企画に雲水が登場する所以である。そんな星覚さんも、ご多分にもれず掃除は嫌いだった。面倒だし不要不急だし...何かと理由をつけて避けていたが、永平寺での修行で掃除の魅力に目覚めたそうだ。「あれ、楽しいかも」と。
禅寺と掃除の関係は、唐の時代の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という禅僧にさかのぼるという。高齢になっても率先して掃除に励む百丈禅師。老体を気遣う弟子たちが試しに掃除用具を隠してみたら、師匠は一切食事をとらなくなった。「一日作(な)さざれば、一日食らわず」と。根負けした弟子たちは清掃具を返したという。
「禅寺では掃除が食事と同じように生きることそのもの、坐禅や読経と同じ大切な修行のひとつとして尊ばれ、現在も脈々と受け継がれているのです」
太鼓で気分を盛り上げ
星覚さんがキーワードに挙げる禅語は「調身 調息 調心」だ。身体が調(ととの)えば息が調い、おのずと心も調う。そして、掃除が対象とする身の回りの環境もまた、ここで言う身体の一部なのだという。
「物が散乱した部屋と、整然と磨かれた部屋に入った瞬間の身、息、心の反応や変化を想像してみてください。環境や身体を掃除で調えることで、息も心も更新され、誰もが初々しい気持ちで日々を生きることができます」
掃除は身体にいい、というわけだ。掃除に適した時間帯は、意外にも朝食後らしい。「食べる」という本能に根ざす振る舞いにより、本来の面目(あるがままの姿)に戻りやすく、部屋やモノと新たな気持ちで関われる、という理由である。
とはいえ、禅僧や雲水だって人間だ。早起きしての朝食後は眠い。そこで、禅寺では食後に普請鼓(ふしんく)という大太鼓を鳴らし、掃除の気分を盛り上げる。
「最初は面倒でも音につられて掃除を始めるとつい夢中になり、最後には『ああ掃除してよかった!』と爽やかで充実した気分になるのです」
大太鼓を持たない多くの家庭人に星覚さんが提案するのは、スマホで好きな音楽を聴きながらの掃除だ。好きな歌には自分が心地よくなる呼吸があり、呼吸が変われば心身も変化し、掃除に快感を覚えるようになると。
「人間もまた自然です。掃除をすれば身体から、息も心もスッキリ心地いい。自然を貫く不思議なセンスがあなたの中にもあるのです...掃除を通じて身心を自然に重ねていくと、どんな状況にあっても周りが悦ぶ生き方に、大安心(だいあんじん)にいられる」
大きい「やりとげ感」
禅語を交えての文章は少しとっつきにくいが、言わんとすることはわかる。身の回りを整えて暮らせば呼吸や心までが安定し、「初々しい気持ちで日々を生きる」ことができる、というわけだ。掃除は自他を幸せにする行いだと。
そこまで深く考えてのことではないが、デスク周りを片づけるだけでスカッとして執筆がはかどった、という経験はある。仕事場は雑然としているほどいいという人も、とりわけ物書き諸氏には多そうだが、ここでは無視させてもらう。
様々ある家事のうち、私が料理の次に好きなのが掃除だ。やはり結果が目に見えるのが大きい。ゴミ拾いもガラス拭きも、「事前」が汚いほど「事後」は美しく、嬉しい。やりとげ感が高いのである。
掃除は本来、衛生上の理由から定着した習慣と思われるが、コロナ禍で心のリフレッシュという意味が加わる。生存のための栄養補給、すなわち食がいまや文化に昇格しているのだから、掃除や洗濯が精神性を帯びたところで何の不思議もない。
冨永 格