母の味はオムレツ 阿川佐和子さんが忘れない、大作家を喜ばせた一品
ミセス11月号の特集「忘れられない母の味」に、エッセイストの阿川佐和子さんがプレーンオムレツの思い出を寄せている。
特集では各界の12人が「母の味」を懐かしむ。いずれも食したくなる筆致だが、阿川さんは父親を登場させることで、母娘の「連帯」を立体的に描いている。
「母が格別に料理上手だったかどうか、娘の私には確信がない。しかし、人一倍食い意地の張った父と結婚したせいで、料理に追われる人生を送るはめになり、腕を磨かざるを得なかったのは事実であろう」
父君の作家、阿川弘之(1920-2015)は「朝ご飯を食べながら、『おい、今夜は何を食わしてくれるんだ?』と母に問いかけるのが常」という人だった。
口に合わない品を出そうものなら、本気で怒り出したという。「死ぬまでに食べる回数は限られているのに、一回損をした。どうしてくれる」と。不味いと言いにくい場面では、その皿を箸で前へ押し出して家族に勧めた。いやはや大変な親父さんだ。
そんな父親を満足させるため、阿川さんの母は料理本を開き、知人にレシピを教わり、外食で夫が気に入った味を再現し、自分だけの料理ノートを作っていた。そこには「なみちゃん冷や麦」「賀来カレー」など、伝授元の名を冠したメニューもあった。
父親は晩酌を欠かさないので、まずは枝豆やレーズンバターなど、酒の種類に合わせたつまみが並ぶ。それが済んで、肉や魚といった主菜の登場となる。
峠を越えたはずが...
「それらがアツアツの状態で供せるよう、母と私は交代で食卓を立ったり座ったりしながら、できた料理を順繰りに運ぶ...ようやくメインの料理を食卓に並べ、これで今日の作業は峠を越えたと思いきや、父が発言することがある」
〈で、今日、俺は何で飯を食えばいいんだ?〉
並んだ料理だけでは満足できない、〆はどうするのか、という意味らしい。なんという亭主関白、なんという健啖。ふりかけや梅干しで引き下がる胃袋でもなさそうだし。
そんなとき妻、つまり阿川さんの母は「オムレツでも作りましょうか?」と応じた。父は「ああ、それはいいね。作ってくれ。バターをケチるなよ」とマイペースを崩さない。
「健気な娘は疲れているはずの母のかわりに、『私が作るよ』と席を立ち、台所に駆け込む。しかし実のところ、自信がない。母のように上手に焼けた試しがないからだ」
母親が作るオムレツは、しかし普通だった。バターの量こそ娘より少なめだが、塩コショウした卵を軽く混ぜ、フライパンで固まり始めたところでコロンとまとめるだけ。
「それまで不満そうだった父は、母のオムレツをご飯に載せて口に掻き込むや、『旨い!バターが効いている』 母が少し量を控えたことも知らず、いとも満足そうに、お酒で赤くなった顔で笑うのであった」
なお、阿川さんの母君は今年5月、92歳で他界された。
貴重な証言にも
1961年創刊のミセスは、文化出版局が発行する「大人の女性」のためのライフスタイル情報誌。専業主婦を含め、40~50代が主な読者層とされる。
「母の味」は婦人誌の定番企画だろう。それを振り返る12人の子どもたちは、「娘」が阿川さんのほか益田ミリ、平松洋子、森下洋子、石田千、川上弘美、後藤しおり、師岡カリーマ・エルサムニー、平野恵理子の各氏、「息子」は中村獅童、為末大、鳴戸勝紀(元大関・琴欧洲)の各氏。読者と重なる世代を中心に、なかなか多彩な顔ぶれである。
阿川さんの短文を読んだ人は、大正生まれの父親に、見方によっては楽しそうに振り回される母子の姿を想像したに違いない。そして、家庭における文化勲章受章者の姿を垣間見て、身内は大変だと同情したかもしれない。多少の誇張を割り引いても、こうした男性はもう少ないはずで、その意味では貴重な証言にもなっている。
舌が肥え、気難しそうな父親が最終的に満足するのが、卵だけのプレーンオムレツだった、という意外性もいい。ここで手の込んだ、あるいは高価な一品を求めるような展開では、父親が本当の悪役になってしまう。
「ケチるなよ」と言っておきながら、少なめのバターに歓喜する大作家。「母の味」のマジックではあるのだが、父親のほうも負けずに「いい味」を出している。
冨永 格