楽譜は何を伝えているか(3)
間違いなく欧州文明の基礎、といえるのが紀元前5~4世紀に最盛期を迎えた古代ギリシャ文明です。古代ギリシャ人が考え出した哲学・数学・自然科学、その他諸々の学問は、その後ギリシャ地域も飲み込んだ古代ローマ帝国に大部分引き継がれ、現代の欧州地域に広がり、現在に至るまで影響を与えています。
音楽も例外ではありません。「音楽」という言葉は、英語でミュージック、フランス語でミュジク、ドイツ語でムジーク、イタリア語でムジカ、と各言語とも似ていますが、もとは古代ローマの言葉であるラテン語の「ムジカ」からきています。そしてこの「ムジカ」は、古代ギリシャ語の「ムシケー」が語源なのです。
数学者ピタゴラスも音楽に大きな足跡を残した
古代ギリシャ文明社会は、音楽を大変重要視しました。教育科目では、戦争に欠かせない体力を養うための「体育」と、「音楽」のみが全員の必修科目だった地域や時代もあります。音楽を学べばよい良い人間になる、と考えられていたからで、若い人たちは、なにか楽器の演奏技術の習得も必修とされていたようです。この考えは、その後の欧州最古の大学、イタリアのボローニャ大学や、英国のオックスフォード大学でも、設立当初から音楽を重要な履修科目としていた・・という形で影響を残しています。
そんな古代ギリシャの「ムシケー」は、音楽だけを表しているわけではありません。ギリシャ神話の最高神ゼウスと、女神ムネーモシュネーの間に生まれた9人の女神、「ムーサ」たち・・・複数形が「ムーサイ」となります・・・が司るそれぞれの技、というのが直接的な意味です。それぞれの女神は詩歌や劇、舞踊や天文、歴史などの神、とされているので、それらをひっくるめたものが「ムシケー」となります。いわば翻訳不可能なものなのですが、一つだけ共通点は、9人・・・神様だから9柱とすべきでしょうか・・・の司る技は、いずれも「時間」が必要なものだということです。音楽は「時間芸術」と呼ばれますから、そのことから、幅広い舞台芸術的なものであった「ムシケー」が、音楽という意味に段々と収れんされていったものと考えられます。ちなみに、同じ語源から女神の「ミューズ」も美術館の「ミュージアム」も派生しています。
「三平方の定理」で知られる古代ギリシャ人の数学者ピタゴラスも、音楽に大きな足跡を残しました。現代につながる「音階」の理論を考え出し、我々が通常使う「音名」にアルファベットを使う・・・といってもギリシャ語なので、現在のラテン語ベースのドレミファソラシド・・とは異なりますが・・・・というのも彼の発明です。
古代ギリシャ人は、「調和」ということを非常に重視し、天体の運行法則などにも「調和」を見つけようとしたのですが、「調和」は音楽にとっても大変重要です。ある音と、ある音を同時に鳴らすととても良い響きになる・・・現代風にいえば「ハモる」ということを理論化したのも、ピタゴラスだと言われています。もっともピタゴラスは同時に、「どうしてもハモらない」という自然法則も見つけてしまい、それが解決するのはバッハの時代、「平均律」が発明されてからなのですが、これは楽譜の話とはまた別の話なので、詳しくはまた別の回にゆずりましょう。
オリンピック同様に音楽のコンテストも多く開催
古代ギリシャ人の「調和」に対する情熱がもたらした音楽の科学としての探求も重要ですが、同時に、彼らは儀式や演劇の場などで、大いに音楽を活用していたようです。古代オリンピックはギリシャが発祥ですが、そういった競技において人々の興奮を高めるために使われたのも音楽なら、オリンピックで競う「体操」以外にも「音楽」のコンテストも数多く開催されたという記録があります。
それは現代のように「器楽演奏の腕」を競うのではなく、詩=歌詞とともに歌われる音楽、現代風にいうとシンガー・ソング・ライターが自作を披露し、作品の出来を争う、というようなものだったようです。他の「競技」にくらべて、音楽の「競技」に関して推測が多くなってしまうのは、やはりここでも「楽譜」が存在しないからで、どんな音楽が演奏されていたかは、正確に再現できないからなのです。
「楽器」の点でも、古代ギリシャ文明は重要なものを生み出しています。オルガンです。紀元前3世紀、現在はエジプトのアレクサンドリアに住んでいた科学者で発明家のクテシビオスが考案した「水オルガン」が最初だと考えられています。オルガンは空気をパイプに送り込むことによって音を鳴らす鍵盤楽器ですが、初期のものはタンクに入った水の圧力でパイプに空気を通す仕組みになっていました。そしてこのオルガンは、古代ローマ帝国に伝わり、ローマ帝国が滅びた後も欧州各地に残り、現在でも数多くのキリスト教会に設置されている「欧州音楽の最重要の楽器の一つ」となっていますから、発明したギリシャの文明はやはり偉大です。
「傑作」はほとんど口伝のみだった
これだけ、欧州音楽の基礎となるさまざまなものを考案したギリシャ文明なのですが、現在ひろく使われているような「楽譜」は、ついに発明しませんでした。正確に言えば、古代ギリシャの墓碑銘には、簡単な楽譜らしきものを記したものが見つかっていたり、劇の台本の中に楽譜らしき記録が見つかっていたりと、「断片」は存在するのですが、おそらくその「楽譜らしきもの」は再現性が十分でなかったため、廃れてしまい、後世に引き継がれることはありませんでした。もちろん、現代のテクノロジーを持ってしても、解読不能で、それにより演奏された音楽がどんな音楽だったかは、正確に再現することは不可能なのです。
つまりこれは、音楽にとって、まだまだ「それだけで正確に音楽を再現することが出来る」楽譜が必要とされていなかった、ということです。音楽はまだまだ即興性の高いもので、また、繰り返し同じものを演奏する必要に誰も迫られていなかった・・むしろ時間とともに過去に消えていってしまう・・ということこそが音楽の本質だ、と皆が考えていたからともいえます。
しかし、そんな時代でも、「傑作」は人に伝えようとするのが自然で、その場合は、ほとんど口伝のみで伝えられた、と推測されています。言い換えれば、口伝で伝えることが出来るぐらい当時の音楽はまだまだ単純だったということです。それは、多くの場合、旋律のみが重要で、伴奏は即興で付ける程度でよかったのでは、ということと、一方で、同じ言語、同じ文化の共同体の中では、音楽の伝え方は、現代の楽譜のように「音程、リズム、テンポ、抑揚」まで書き込む必要はまったくなく、「歌詞の言葉と、その周辺に音の高さをちょっと書き入れるメモ程度」で良かった、ということでもあります。ましてや、「全くの他人」や「異文化や外国の人」に、音楽を正確に伝える必要などなかったのです。現代では「音楽に国境はない」などと言語との対比で言われますが、長いこと人類は「音楽には国境があって当然」と考えていたわけです。
実は、現代でも音楽には明確に国境が存在する場合のほうが多いのです。ただ、欧州発祥の「クラシック音楽のシステム」のみが、汎用性があり、実用性の高い楽譜を持っていたために、近代以降の欧州諸国の興隆・世界進出と相まって、世界のスタンダードとして広い地域で聴かれているだけなのです。
古代ギリシャ文明と同じく、その後地中海にパクス・ロマーナの時代を築いた巨大帝国ローマでも、事情はほぼ同じでした。ローマ人も、再現性の高い機能的な楽譜を生み出さなかったのです。「異なる文明・言語地域でも通用する実用性の高い楽譜」が発明されるには、中世初期の欧州まで待たねばなりませんでした。
本田聖嗣