ギリシャ「苦難の20世紀」を生き抜く テオドラキス「ヴァイオリン・ソナチネ 第1番」

   本来今年に予定されていた東京オリンピックは、残念ながら(現時点では)1年延期、ということになりましたが、今日は五輪の母国、ギリシャの作曲家テオドラキスに登場してもらいましょう。

   2020年東京五輪は、ギリシャで聖火の採火式は行われましたが、その火が日本に空輸で到着したほぼそのタイミングで、延期が決まりました。聖火の採火とその後の聖火リレーは、五輪発祥の地、ギリシャと開催都市を結ぶ、もっとも象徴的な儀式であるだけに、それが途中で中止になった事実は、ひときわ今年の全世界での異常事態を実感させます。

ギリシャの象徴、アテネのパルテノン神殿
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戦後の内戦で逮捕、投獄、拷問まで

   西洋文化の基礎でもある古代ギリシャ文明が栄えたあと、ローマ帝国の一部となり、また14世紀から、隣のイスラム教の大国オスマン帝国に飲み込まれ、近代になるまでギリシャは占領地として歴史を刻みました。オスマン帝国の力が落ちたときに、西欧諸国の助けで、ギリシャとして独立を果たしましたが、その後も苦難の連続でした。第二次世界大戦では、枢軸国ドイツに占領され、それに対するレジスタンスがいくつか組織されました。もともと地中海に権益を確保するのに熱心な英国がレジスタンスを支援しますが、共産党系のレジスタンスが多かったために、戦後のギリシャの赤化を恐れる英国は必ずしも積極的に支援しなかった・・など大国の事情に翻弄されつづけます。近年、話題となったギリシャの国家としての財政危機も、複雑な歴史ゆえの結果といえなくもありません。

   現実のギリシャはEU(欧州連合)の一員として苦労していますが、一方で、ギリシャは、五輪の例を持ち出すまでもなく、欧州文明の揺籃の地ですから、西欧諸国から、あこがれと尊敬の念を持って語られることもしばしばです。もし、今年2020年に東京五輪が開催されていたら、開会式の入場行進は「ギリシャ選手団」が先頭を切っていたはずです。

   ミキス・テオドラキスは1925年、ギリシャのヒオス島に生まれました。幼少時から音楽に魅惑され、音楽家を目指した彼でしたが、青年時代、国は戦争に明け暮れます。第二次大戦中の1943年にアテネに出た彼は、レジスタンスの一員となり、占領軍であるイタリアとドイツに対抗するため、部隊を率いました。世界的戦争が枢軸国の敗戦で終わると、その後ギリシャは内戦に突入してしまいます。テオドラキスはその戦いの中で、逮捕され、投獄され、拷問さえ受けるという苦労を味わいました。

   しかし1943年から50年までの間、断続的に彼は、アテネ音楽院で学び、学校卒業後はクレタ島に渡って、音楽学校の校長になります。

   1954年から、さらに研鑽をつむためにフランスの首都パリへ渡り、そこで国際的に評価され「テオドラキス」の名が認められると同時に、祖国への思いも断ち難く、まだまだ混乱するギリシャに戻り、左翼活動家や、国会議員を務めるといった政治的活動も行い・・・とテオドラキスの生涯は波乱万丈となっていますが、その話は、また別の機会に譲りましょう。

聞いていて不思議と元気の出る曲

   今日の1曲は、1952年、彼の最初の創作期に分類される時代に書かれたヴァイオリンのためのソナチネ、第1番です。

   3楽章からなるこの曲は、急~緩~急とオーソドックスな構成で、明らかに伝統的な和声法も使っており、20世紀に盛んとなった調性のない「現代音楽」では決してないのですが、独特のハーモニーと、彼自身の投影であるようなエネルギッシュさを持ち、聞いていて不思議と元気の出る曲となっています。室内楽作品としてヴァイオリンとピアノで演奏されるのですが、後に、ヤニス・サンプロヴァラキスによってソロ楽器をサクソフォーン、伴奏をオーケストラとした「協奏曲バージョン」も作られて、「クレタ小協奏曲」と名付けられています。こちらも、サックスのあたたかい音色が、南の島ギリシャを思い起こさせ、ヴァイオリンとは違ったパワーみなぎる1曲となっています。

   3楽章全体でも10分ほどしかかからない曲ですが、第二次世界大戦と戦後のギリシャを生き抜き、1000曲以上を作曲し、まだお元気な「ギリシャ最大の現代作曲家」テオドラキスの、不屈のエネルギーを感じるには十分な曲となっています。

本田聖嗣

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