謎の女性との叶わぬ恋 芸術と愛の国イタリアを表現、リスト「ペトラルカのソネット」
世界中を巻き込んでいる新型コロナウィルス騒動。21世紀の医療やテクノロジーが進んだ現在でも、目に見えないぐらい小さなウィルスに対し、人間では対処が難しいことが明らかになりつつあります。
欧州の国の中で一番苦悩しているのが、クラシック音楽の母国でもあるイタリアです。今回の発生源とされる中国と「一帯一路」の政策などで欧州の国の中で一番近いスタンスを取っていた国であり、その人的交流の多さが今回の感染拡大につながった、とも分析されています。
歴史を遡ると、イタリアは同じく東から他の文明の影響を受け入れ、欧州の中でいち早くルネッサンスが花開いた国であり、「クラシック音楽の母国」とされるのも、その影響が源流となったわけです。今回のウィルス禍は、「グローバリズムが一つの要因」とされていますが、イタリアは、古くから地中海に向かって開けていたこともあり、欧州の中でも異文化交流が盛んな国でした。音楽に限らず、優れた芸術作品が生まれたのは、間違いなくその恩恵でした。
今日は、そんなイタリアの文化に敬意を込めて作曲された曲を取り上げましょう。フランツ・リストのピアノ曲、「巡礼の年 第2年イタリア」から、「ペトラルカのソネット」と名付けられた3曲です。
自身の恋愛問題で悩んでいた時期に作曲
1811年、ハンガリーに生まれたドイツ系のフランツ・リストは、ウィーンやパリで勉強し、ピアニストとしてパリを拠点としてしばらく活躍し、その後ドイツのワイマールや、イタリアにも居住しました。住んだだけでなく、演奏家としての旅行も多かったので、各地で芸術作品に触れたりして見聞を広めていた、幅の広い国際人だったとも言えます。
そんなリストが、20歳代から60歳代まで書き溜めていき、いくつかの曲集にまとめた作品が、「巡礼の年」です。第2集にあたる「第2年」が「イタリア」と名付けられています。ちなみに「第2年 補遺」という3曲の曲集も作曲され、こちらも「ヴェネツィアとナポリ」とタイトルがつけられているので、「第2年」はすべて、リストのイタリアでの印象や、イタリアの芸術作品にインスパイアされたものとなっています。
「第2年」は全部で7曲からなる曲集ですが、そのうち第4~6曲目がそれぞれ「ペトラルカのソネット 第47番」、「同 第104番」、「同 第123番」、と名付けられています。いずれも、14世紀の詩人、ペトラルカの「カンツォニエーレ」と名付けられた詩集にインスピレーションを受けて書かれています。歌の本=カンツォニエーレと名付けられた詩集は、ペトラルカがフランスのアヴィニヨンにいる時に見初めた謎の女性、ラウラに向けて書かれた恋愛の詩です。基本的に「叶わぬ恋」の物語なので、恋の詩といっても苦悩に溢れたものとなっています。
リストは、このペトラルカの恋愛詩を3編も取り上げて、それぞれ作曲したのです。それだけ、リストがこの詩集に惹かれていた、といってよいでしょう。自身の恋愛問題で悩んでいた時期でもあり、ペトラルカの詩集は、リストにとって、アルテ(芸術)とアモーレ(愛)の国であるイタリアを表現するのに最適な題材だったのかもしれません。
リストの精神世界がうかがい知れる名曲
その曲調は、いずれも、苦難と甘美さが混在したものであり、メロディーメーカーのリストの実力がいかんなく発揮されています。特に、最後の第123番は、リストの代表作「愛の夢」にも通じるような耽美的なメロディーに溢れ、最終曲である第8番の「ダンテを読んで」と対象をなし、そのヴィルトゥオーゾ表現による厳しい世界を準備する曲となっていますが、私は、この曲は単独でも、リストの精神世界がうかがい知れる名曲として成立しているな、といつも感じて弾いています。
時あたかも、イタリア本国は受難のとき。ペトラルカが愛したラウラは、ペストで亡くなったということになっており、中世の時代にも欧州は幾多の苦難を乗り越えてきました。
リストの「ペトラルカのソネット」の3曲は、現世の苦難の中に心の平安をもたらしてくれる、こういった厳しい時にじっくり聴き込みたい、名曲です。
本田聖嗣