戦後日本国民がかかえた「ねじれ」 考察は令和に引き継がれた
■『荒れ野の六十年―東アジア世界の歴史地政学』(著・與那覇潤 勉誠出版)
■『完本 太宰と井伏 ふたつの戦後』(著・加藤典洋 講談社)
新型コロナウィルス感染症の流行で、陰に隠れてしまったが、3.11の東日本大震災から9年目の春となった。昨年3月のこのコラムで紹介したが、3.11後、「残念ながら原発の是非と放射線リスク判断を軸とした分断線があらわになり、その分断線の両側の陣営でいがみあうような社会に進んでしまった」(五十嵐泰正著 「原発事故と『食』」より)。
そして、歴史の分野では、「すべては、無駄であった。・・東アジアで共有できる歴史観を持つ、という、ポスト冷戦期に多くの学者たちが模索した理想は、敗れたのである」(「まえがきー廃墟に棲(す)む人のために」より)という絶望的な語りからはじまる與那覇潤著「荒れ野の六十年―東アジア世界の歴史地理学」(勉誠出版)が今年はじめに世に問われた。
東アジアでの戦後和解への願いこめたか
與那覇氏の前著「歴史がおわるまえに」は、昨年10月のこのコラムで取り上げた。評者が最も注目している論者の1人である。
本書の帯には、「しかし、なぜ共有したいのだろう。やり過ごしあうだけではどうしていけないのだろう。そうした欲求は、日清戦争の開戦から朝鮮戦争の休戦までの『荒れ野の六十年』が残した近代の爪痕にすぎなかったのではないか。この地域が抱える絶望的な摩擦の根源へ、古典と最新の研究の双方を対照させて迫った先に見えてくる、あたらしい共存の地平とは」とある。それぞれの論考をいまの與那覇氏が丁寧に振り返った「あとがき―収録作品解題」を、それぞれの論文を読んだあとで参照することを是非お勧めする。
本文は、3部から構成されていて、「西洋化のとまった世界で―同時代への提言」、「歴史のよみがえりのためにー古典にさがす普遍」、「もういちどの共生をめざして―植民地に耳をすます」と題されている。
與那覇氏は、第3部におさめられている、本の題名と同じ題名の論文「荒れ野の六十年」(2013年6月初出)を、「あとがき―収録作品解題」において、「私が大学教員として残した中で、もっとも優れた論文である」という。
副題は、「植民地統治の思想とアイデンティティ再定義の様相」で、東アジアで受容されるような普遍的な統治の思想を持てなかったことを幅広い文献を読み込んで編んだものだ。「植民地支配を『批判』したり『抵抗』したりした、『良心的』な何人かの思想をつないでこと足れりとする安直なポストコロニアリズムではなく、日本が帝国であった(-あえて言えば、あらざるを得なかった)ひとつの時代の構造を、全体像として描ききることを目標とした」のだという。
「荒れ野の〇〇年」という題は、ドイツのワイツゼッカー大統領(当時)の、ドイツ敗戦40年にあたる1985年5月8日に連邦議会で行われた演説(「荒れ野の四十年」)を連想させる。この演説は、「若い人たちにお願いしたい.敵対するのではなく,たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい.われわれ政治家にそのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい」という、対立を超え,寛容を求め,歴史に学ぶことを訴えたものとされる。與那覇氏は、単純にドイツの非を認めただけでないこの演説の意義を踏まえつつ、東アジアでの戦後和解への願いをこめて論文を執筆していたと思う。
また、評者としては、東洋史の碩学・内藤湖南や、我々の世代においては「網野史学」とまで評され一世を風靡した日本史の網野善彦についての内在的な理解に立つ珠玉の論文にも啓発された。
「若い人」に場所を譲り活躍してもらう助力をする
ところで、2015年9月のこのコラムで紹介した「敗戦後論」をはじめとして、文学から社会時評まで幅広く活躍していた文芸評論家の加藤典洋氏が、昨年5月16日に死去した。享年71歳だった。評者は、加藤氏のこれからの執筆活動もとても期待していた。加藤氏の死去とほぼ同時に出版されたのが「完本 太宰と井伏 ふたつの戦後」(講談社学芸文庫)だ。太宰治が戦後なぜ再び死に赴いたのかを考察したものだ。
加藤氏は、「著者から読者へ」で、この本の解説をまったく会ったこともない與那覇氏に依頼した事情を書いている。「このブリリアントな若い人が、太宰や井伏について書かれたこの本を、先入観なしに読んで、どんな感想を持ってくださるかに関心があった。この人は、病気をくぐって、その思考を深めることのできる人だということを、氏の近著『知性は死なない、平成の鬱をこえて』を読んで得心したからにほかならない」とし、自分を「老人」(「若い人を助ける「一歩身を引いた」、「自分の分限を知った」社会的人間」)として、與那覇氏のような「若い人」に場所を譲り、そういう人に活躍してもらう助力をすることが役割だとしている。
與那覇氏は、加藤氏の、変遷を遂げてきた「自己論」の最新のところを、「自他の境界がやぶけ、あるいは破線となった状態で、あるべき姿へと自身を引き上げる理念と、ただ在るだけの状態へと下降する生命の重力との均衡として、個人の生はとらえられる」と、この本から読み解いた。加えて、1995年になされた加藤氏の名著「敗戦後論」への批判の嵐の背景には、従軍慰安婦問題があったと指摘し、現状では、「あきらかに、当時『日本人』を糾弾していた他者の側の自己のありかたが固定化し、閉ざされた不自由な身体になっているようにもみえる」という。
加藤氏が平成の時代を通じて考え続けてきた問題(戦後日本の国民がかかえた「ねじれ」)を、與那覇氏は令和の時代に彼の視点から深めていくのではないか。本人には余計なお世話かもしれないが、それを是非とも期待したいところだ。
昨年1月から「PLANETSチャンネル」での連載「平成史」、そして、今年1月から朝日新聞でコラム「與那覇潤の歴史なき時代」の連載も隔週で始まった。直近では、「歴史学研究No993」(歴史学研究会編集 2020年2月)で、キワモノ扱いの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)について「時評」を書き、江藤淳の問題提起に対する、いま売れっ子の論客たちの不当な評価や、赤坂真理氏の話題作「東京プリズン」の抱える問題点などへの切れ味鋭い考察を示す。
狭義の歴史家は廃業したとするが、今後の執筆にはますます目が離せなくなった。
経済官庁 AK