皇室の存在、和の精神の尊さ 最古参外国人ジャーナリストは訴える
■『英国人記者が見抜いた戦後史の正体』(著・ヘンリー・S・ストークス SB新書)
ヘンリー・S・ストークスさんは、1938年生まれの英オックスフォード大学卒業生。日本の戦後史の目撃者ではないが、連合国軍総司令部(GHQ)当時に創立した東京特派員クラブの面々と直接のつながりを持つ。1964年の来日以降、日本の教育とメディアが、東京裁判や「大東亜戦争」、さらにその一環としての南京大虐殺や従軍慰安婦の本当のことをタブー視して伝えていないことを忸怩たる思いでみてきた。本書は、最古参の外国人ジャーナリストの責務として出版されたものである。
東京裁判をどう受け止めるか
世界の識者が東京裁判を批判する理由は、実定国際法が許容する内容ではないからである。戦争に対する罪は存在しない。
歴史をさかのぼると、三十年戦争後のウエストファリア条約第二条には、「戦争が始まって以来の言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、棄損、失費を永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」とのくだりがある。すべてを水に流すことで国家間の憎悪を沈めるのが実定国際法の歴史なのである。1945年9月に、敗戦国の東久邇宮稔彦首相が示した見解はまさにそうしたものだった。「原爆投下を忘れるから。真珠湾を忘れてほしい。アメリカは勝ち日本は負けた。戦争は終わった。互いに憎しみを去ろう」と。
しかし、マッカーサーはこれに激怒し、「連合国はいかなる点においても、日本国と連合国を平等とみなさない。敗北した敵である」との声明を出し、東京裁判を決行した。日本が東京裁判を受け入れているのは、事実関係としては、東京裁判の判決を執行することであり、侵略戦争であることや判決理由を受け入れているわけではないという。和を大切にして多様な考えや価値観を尊ぶのが日本人の良さ。先の戦争の解釈についても一方的な理解を改めるべきだと述べている。
侵略をしていたのは欧米列強
著者が東京裁判に強くこだわるのは、大東亜戦争開戦当時のアジアは、欧米列強が侵略により植民地にしたという事実を重視するからである。カンボジア、フィリピン、インドネシア、インドの四か国の独立への足取りとその過程に日本がどのような援助をしたかを紹介し、日本がこれらの国を侵略するどころか、独立を支援したと高く評価している。
特に、1943年11月に東京で開催された「大東亜会議」は、有色人種による史上初のサミットであり、人種平等の扉を開くという日本の姿勢を示す画期的なものであった。中国南京政府の汪兆銘行政院長、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのモウ首相、インドのチャンドラ・ボースなどが参加し、抑圧された民族の憲章ともいうべき「大東亜共同宣言」が採択されている。
1941年12月の宣戦布告に伴い、日本政府が閣議決定した戦争名は大東亜戦争だったが、マッカーサーは1945年12月の神道指令の中で大東亜戦争の名称使用を禁止した。日本の正当性を主張させないためであった。
昭和天皇の人間宣言の解釈
日本人の神がかった戦いぶりに恐怖を感じた連合軍、マッカーサーは、「天皇のために死ぬことをいとわない神道の教えに問題がある。天皇への信仰心を取り除いておかなければならない」と考え、昭和天皇をして人間宣言をさせた。しかしこの理解は誤っているという。1946年元旦の詔書で述べられているのは、「天皇と国民をつなぐ絆は相互の信頼と敬愛である」ことを示すだけで、現人神を否定する内容はないと。三島由紀夫が小説「英霊の聲」を通じて、人間宣言というイメージの独り歩きに警鐘を鳴らしたことを紹介している。
昭和、平成、令和と三代の天皇の代替わりに立ち会った著者が、戦後80年を機に、皇室の存在、和の精神、そうしたものが、民主主義を上回る尊さがあると日本人は誇りをもってほしい。そう訴えている。われわれ世代はもとより、これから戦後史を学ぶ中学生、高校生にもぜひ読んでもらいたい。
ドラえもんの妻