日本にも通じる「そこはかとなさ」 フィンランドのパルムグレン作曲「粉雪」
2020年、年が明けた日本列島は気温が高く、冬なのに春のような気温の日があったり、春に特徴的な低気圧が列島付近に現れて、冬の晴天ではなく春先の悪天候のような空模様になったり、という不思議な気象が続いています。そしてなにより、例年ならたくさん積もるはずの雪が驚くほど少ない地方が多く、スキー場は雪の確保に頭を痛め、雪を使ったお祭りも開催が難しくなっている・・との報道も多くなっています。
今日は、本来なら冬の風物詩、「雪」を題材にした可愛らしいピアノ曲のご紹介です。「粉雪」という題名で、北欧フィンランドの作曲家、パルムグレンが作曲した「3つのピアノ曲 Op.57」の中の2曲目として作曲されています。
シベリウス後に国外で最も成功した作曲家
セリム・パルムグレンは1878年、フィンランド南西部のポリに生まれました。首都ヘルシンキに出て音楽院で17歳から21歳まで学んだ後、ドイツのベルリンに留学し、ピアニストのアンゾルゲや、優れたピアニストでもあった作曲家、ブゾーニなどに2年間、学びます。さらにイタリアに渡り、1906年から1909年まで学んだ後、故郷のフィンランドに帰り、指揮者やピアニストとして3年ほど活躍します。
その後彼は、遠く、米ニューヨーク州のロチェスターに渡り、名門イーストマン音楽院で作曲と音楽理論を教えはじめ、1909年からは祖国フィンランド・ヘルシンキのこちらも名門であるシベリウス音楽院にうつり、作曲とピアノを教え続けました。
パルムグレンは、フィンランドの名前を名曲「フィンランディア」などで高らしめたシベリウスのあと、もっとも国外で成功し、有名になった作曲家と言えます。しかし、彼の作品は、ほとんどがピアノ独奏や協奏曲といったピアノ関連作品と歌の作品・・・彼は死別した最初の妻も、二番目の妻もオペラ歌手でした・・・となっています。そして、そのスタイルは、19世紀末にフランスなどで盛んになった、ドビュッシーなどの「印象派」に影響されています。
途絶えることなく粉雪が舞う世界を表現
「粉雪」を含む「3つのピアノ曲」は1916年、つまり彼が北欧に戻ってからの作品です。欧州は第一次世界大戦の戦乱の中にありましたが、まだロシア帝国の支配が続いていた独立前のフィンランドでは、職業軍人以外は戦闘に巻き込まれることがありませんでした。
「粉雪」はまさにひたすら降り続ける雪のごとく、右手に現れた音形が繰り返し繰り返し演奏されます。そこに左手が透明感のある和音を加えていき、深い低音の和音を奏でた後、右手のメロディーは、同じ音形のまま、少しずつ変化していきます。最後まで、この「雪が降るモチーフ」は途絶えることなく、粉雪が舞う世界を表現します。どこか悲しげなのは、戦争のせいか、まだ独立前のフィンランドの嘆きか・・・わかりませんが、日本の我々が冬の雪に感じるような「そこはかとなくセンチメンタルな詩情」が感じられ、わかりやすく素敵な曲となっています。4分に満たない小曲ですが、雪の時期に聴きたい、可愛らしい曲です。
本田聖嗣