風が吹いている 水野良樹さんは五輪をめぐるバラバラをそのまま書いた

   Number(12月26日号)の「Who is a dreamer?」で、「いきものがかり」の水野良樹さんがNHKのロンドン五輪(2012年夏)テーマソング「風が吹いている」について顧みている。自身が作詞作曲したこの曲は、グループの代表作のひとつでもある。

   スポーツ専門誌の、4人の筆者によるリレーエッセイ(タイトルは各自)で、毎回、何かしらスポーツに関連する内容となる。

「2012年の春だった。『ここで、歌えるのかな』...代々木公園のベンチにひとりで座っていた。平日の夕方前。人影はまばらだ。数日間、満足に寝ることができていない。ほぼ徹夜と言っていい作業が続いていた。精気の抜けた顔を上にあげると、目の前に大きな建造物があった」

   この冒頭には説明が要るだろう。水野さんはNHKから五輪放送のテーマ曲を頼まれていた。いきものがかりは08年から連続して紅白歌合戦に出場、10年には朝ドラ「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」を手がけており、五輪曲の依頼先としては自然だった。

   ただ、作者は苦闘していた。「ここで、歌えるのかな」の「ここ」とは、代々木公園に隣接する紅白の会場、NHKホールのことだ。その曲は夏が来れば毎日何回もテレビで流れ、2012年を象徴する作品として年末の晴れ舞台が用意されるだろう。演奏には五輪の映像がつくかもしれない。しかし肝心の曲が、影も形もなかった。

「どんな熱狂がこの夏に巻き起こるのか。どんな物語の果てに僕らは、そして世の中の人々は、大晦日を迎えるのか。その頃はまだ想像することしかできなかった」
代々木公園から望むNHKホールと放送センター=冨永写す
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震災1年後の「正義」

   当時の水野さんはメジャーデビューから6年の29歳。あり余るやる気や情熱に、ソングライターとしての技術や経験が追いついていかない。代々木公園近くの作業部屋で五線譜と格闘する日々。五輪の感動をあれこれ夢想するも、なかなかまとまらなかった。

「様々な事情で中継を見る余裕など無いひとたちもいる。東北の震災が起きてしまってから、わずか1年ほどしか経っていない頃だった...熱狂に対して怒りにも近い感情を持つひとたちだって数えきれないほどいる。バラバラの正義がバラバラのまま存在している」

   確かに、まずは復興だろう、原発事故の後始末はどうするのか、といった空気の中での五輪ではあった。歌詞もメロディーも、妙に浮世離れするわけにはいかない。

「決めた。バラバラであることをそのまま書こう。異なる正義や思いを抱えていても、僕らは同じ時代を生きていかなくてはならない。あなたと私とは違う人間だ。でも同じ空の下にいる。同じ風がここには吹いている...ともに生きる道を探していくしかない」

   きれいごとなのは分かっていた、という。

「まさにオリンピックこそ、きれいごとの祭典なのかもしれない。だがそれは、人間がどれほど多くの希望を夢見て、歩んできたのかという歴史そのものでもある。風が吹いている。そして僕もあなたも、ここで生きていく」

追体験できる構成に

   難産で生まれた「風が吹いている」は、水野さんの思い通り、2012年の紅白で歌われる。いきものがかりのメンバー3人のうち水野さんと山下穂尊さんは男性だが、ボーカルの吉岡聖恵さんが女性のため紅組での出場、それも初のトリを飾ることになる。途中、五輪の映像が挿入され、日本人メダリストたちがステージに立った。水野さんのこのエッセイは、そんな成功譚の序章を自ら振り返ったものである。

   周知の題材を当事者が書くのは、意外に難しい。本人の記述はすべてホンモノ、オリジナル、誰からも文句は出ないのだが、中身は心境の吐露に終始しがちである。その点、水野さんは「NHKホールを望める代々木公園のベンチ」に始まり、「独り暮らしのアパートに帰った若者がコンビニの袋から弁当を取り出し、テレビをつける」といった想像部分を含め、記述がなかなか具体的だ。「ボサボサの頭を掻きながら」といった表現もある。

   〈風が吹いている 僕はここで生きていく 晴れわたる空に誰かが叫んだ ここに明日はある ここに希望はある〉...そんな歌詞と、あのメロディーが、どういう試行錯誤と苦吟の中から生まれたのか、読者が追体験できる構成である。

   昨今は民放も、夏冬の五輪のたびにテーマソングを用意する。今年の東京五輪ではどんな曲が名場面のBGMとして残るのか。もう一つのメダル争いに注目したい。

冨永 格

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