井上康生「名選手から名監督」の道 「目指すべき柔道」東京五輪で【特集・目指せ!東京2020】
柔道男子の日本代表監督、井上康生さん。現役時代は豪快な内股を武器に、2000年のシドニーオリンピック(五輪)で金メダルに輝き、監督として臨んだ2016年のリオデジャネイロ五輪では、男子を全階級メダル獲得に導いた。
J-CASTトレンドは井上さんの単独インタビューに成功。2020年の東京五輪で日本代表が「目指すべき柔道」を聞いた。(聞き手はJ-CASTトレンド編集部・佐藤庄之介)
「何かを経た上で、それを次にどう生かしていくか」
「現役時代は基本的に自分の事しか考えていませんでした」
井上さんは少し恥ずかしそうな口調で語りだした。
2008年に現役を引退し、海外での留学経験を経て指導者に転向。2012年のロンドン五輪後、全日本の代表監督に就任した。
「(現役時は)いかに己を高めていくかというところがメインでした。しかし、監督になって大枠で物を見ていかなければならない立場になった。そこで、場を広く見られる思考になったんじゃないかと思っています」
2000年のシドニー五輪100キロ級では金メダルを獲得し、柔道界の頂点に立った。しかし、連覇が期待された04年のアテネ五輪ではまさかの準々決勝敗退。自身が味わった「栄光と挫折」を選手たちにどう伝えているのか。
「(私が)シドニーで勝ったこと(で得た経験)や(アテネで)負けたことの失敗が、すべて今の選手たちに当てはまるわけではありません」
「今の時代を読み取った上で、何が必要で、何を求められているかを考えた取り組みが必要だと思っています。金メダルを取るにしても、負けるにしても、五輪に出場するにしてもそう。何かを経た上で、それを次にどう生かしていくか。その繰り返しかなと思っています」
日本選手は「我慢強く、忍耐強く、とても知的で誠実」
海外の格闘技を練習に取り入れるなど画期的なトレーニングで、2016年のリオ五輪では金メダル2つを含む全7階級でメダルを獲得。金ゼロに終わった12年のロンドン五輪から一転、日本柔道復活の立役者となった。
結果を出せば、ライバル各国が警戒を強めるのは必至だ。それでも井上さんは日本の柔道選手が、「身体的な強さにおいて機敏性、一つ一つの動きに対するしなやかさ、柔軟さ、きめ細やかさで、世界と比べ高いものを持っている」と自信を持って語る。
さらに「我慢強く、忍耐強く、とても知的で誠実」と精神面の強さにも触れ、
「我々はその強さを生かしつつ、世界を見た上で何が必要なのかを考えていく、その視点が必要だと思っています」
と気を引き締めた。
2020年は柔道の母国・日本での五輪開催だ。男子はまだ五輪内定者が出ていないが、「代表権は選手たちが勝ち取った努力の結晶。柔道界の数ある歴史を作ってきた一員になれることに誇りを持ってほしい」と、出場権争いを続ける選手たちに期待を寄せる。
その一方で、代表選手が背負う「宿命」も語った。
「代表として戦う中には辛かったり苦しいこと、堅苦しいことがあったりするでしょう。しかし、そこには代表としての責任を全うしなければいけない部分がある。代表という誇りと責任を持って、戦い抜くこと。結果は結果ですので。勝ち負けはどうすることもできない、神のみぞ知るものですから、その過程においてはその精神を持ったうえで戦い抜くのが大事かなと思います」
東京五輪では、「世界のレベルが上がってきている中で、厳しい戦いを強いられることは間違いない」と井上さん。では、東京の舞台で「目指すべき柔道」とは。
「世界中の人々が、『これぞ柔道だ』ということを(日本の選手に見せてほしいと)望んでいらっしゃるんじゃないかなと思います。日本で始まった競技で、世界にその強さを見せていく。日本人の底力、素晴らしさを世界に発信できるような柔道を取り組んでいきたいです」
柔道は「世界のスポーツに変わってきている」
井上さんは指導者としての顔がある一方、社会貢献活動にも力を入れている。
1984年のロサンゼルス五輪金メダリスト、山下泰裕さんが2019年5月まで行っていた、柔道を通じた異文化交流活動。その運営団体「柔道教育ソリダリティー」は山下さんが多忙のため解散することになったが、井上さんは山下さんの意思を継承する形で、新団体「JUDOs」を立ち上げた。
「やるんだったら俺の団体を引き継ぐんじゃなくて、一から自分自身が作った上でやれ」
東海大学の先輩で、師と仰ぐ山下さんから思いを託された。9月には、さっそく理事長としてミャンマーを訪問し、日本人学校で柔道教室を開いた。
「柔道は今、日本の競技だけではなく世界のスポーツに変わってきている。国際交流の場で、大人も子供も含めたサポートシステムを作ることもできる。やれることはたくさんある」
と今後の活動に意欲を示した。