細野晴臣、50周年
好奇心のままに変わり続けて
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
2019年、様々なアーティストが"周年"を迎える中で、誰よりも多彩な活動を展開したのが細野晴臣ではないだろうか。
自身のツアーに始まり、73年に出たソロアルバムの一枚目「HOSONO HOUSE」の曲順を逆にしてリメイクしたアルバム「HOCHONO HOUSE」発売、台湾、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンと回った海外公演、彼を敬愛する若いミュージシャン、星野源、小山田圭吾が選んだ2枚のベストアルバムや彼が担当し海外の音楽賞を受賞した映画「万引き家族」のサウンドトラック完全版などの発売、六本木のど真ん中、六本木ヒルズ展望台での展示会「細野観光」開催、海外ツアーを軸に生い立ちから現在までを追ったドキュメンタリー映画「NO SMOKING」の上映など多岐に渡っていた。
11月30日、12月1日、東京国際フォーラムで行われた「50周年記念特別公演」は、一年を締めくくる、彼ならではの趣向に富んだ二日間だった。
新しい流れの象徴のような存在
とは云うものの、音楽にさほどの関心がない人たちにはあまり馴染みはない名前なのかもしれない。シンガーソングライターとしてだけでなく、時にはプロデューサー、時にはミュージシャン、時にはヒット曲や映画音楽などの作曲家、あるいはレーベルプロデューサー。世間的な認知度と音楽的な実績や影響力には相当の違いがあると言って良い。いつも表舞台に立つのではないにしても、その時代の新しい流れの象徴のような存在としてあり続けてきた。
彼がプロミュージシャンの一歩を踏み出したのは、69年にデビューしたバンド、エープリル・フールのベーシストとしてだ。小坂忠(V)、菊地英二(G)、柳田ヒロ(KEY)、松本隆(D)という5人組。アルバムを一枚残して解散、新たに大瀧詠一(V・G)、鈴木茂(G)、松本隆(D)という顔ぶれで組んだのが、"日本語のロックの元祖"、はっぴいえんど。海外のロックを英語でカバーするのが常識だった中で、ドラマーの松本隆に「日本語の歌詞を」と強く勧めたのが細野晴臣だった。つまり、彼がいなかったら「作詞家・松本隆」は生まれていなかったに違いない。
今年、彼がリメイクしたソロのファーストアルバム「HOSONO HOUSE」は、港区の出身だった彼が、アメリカのヒッピーたちの共同生活のように埼玉の狭山の米軍ハウスに移り住み、機材を持ち込んでレコーディングした、自宅録音のはしりのアルバムだった。その後の75年の「TOROPICAL DANDY」、76年の「泰安洋行」は、欧米一辺倒だった日本のロックシーンにシルクロードや香港、中国、沖縄などの音楽を取り入れ"オリエンタル""トロピカル"という新しい波を出現させるきっかけになった。
70年代から80年代にかけてポップミュージックはデジタルの波にさらされていた。世界共通のツールであるコンピューターを使ったダンスミュージックという新しい概念。坂本龍一(KEY)、高橋幸宏(D)と78年に結成したのがイエローマジック・オーケストラ。"イエロー"が、黄色人種を意味していることは説明の必要もなさそうだ。YMOは日本より海外での評価の方が先だった。映画「NO SMOKING」は、追加公演まで出た今年のニューヨーク公演を初め、海外での熱烈な歓迎ぶりを記録している。
意外性とウイットに富んだ二日間
細野晴臣は、祖父が沈没した豪華客船「タイタニック号」の唯一の生き残り日本人乗客という家に生まれている。物心ついた時から家にはジャズのSP盤が流れていたという環境は、その頃の音楽だけでなく古き良きアメリカへの愛着としても表れている。映画「NO SMOKING」が紹介していた海外の客席の反応は、自分たちも見失ってしまった音楽のルーツが時を超え日本やアジアを経由して帰って来たという発見なのだろうと思った。映画にはロンドン公演に海外で人気のあるコーネリアスの小山田圭吾に高橋幸宏も参加、そこに坂本龍一が飛び入りで加わってYMOが再現される模様や、はっぴいえんどのロサンゼルス録音のアルバムに加わっていたアメリカ人プロデューサー、ヴァン・ダイク・パークスと再会する様子も収められていた。
彼の功績はまだある。鈴木茂(G)、林立夫(D)、松任谷正隆(KEY)らと組んだセッション・ミュージシャン集団、キャラメル・ママはその後ティン・パン・アレーと名前を変え、小坂忠や、荒井由実、矢野顕子、大貫妙子、南沙織、アグネスチャンらのレコーディングに参加、それまで顧みられることの少なかった演奏のクオリティーを飛躍的に向上させた。はっぴいえんどがそうだったように、"歌モノ"のアルバムで演奏が評価されるようになったのは間違いなく彼ら以降だろう。
そうした50年間の活動のしめくくりとなったのが11月30日と12月1日の東京国際フォーラム。それは意外性とウイットに富んだ二日間だった。
二日間公演の内容が違う、というのは珍しくない。ただ、それは二日とも足を運ぶという人が見てもそれぞれに楽しめるように選曲を変えるという程度なのが普通だ。まさか、ここまで中身が違うとは思わなかった、というのが正直な感想だった。
そういう意味では一日目の「細野晴臣50周年記念特別公演」は、オーソドックスなコンサートらしいコンサートだった。海外公演も共にしているバンド、高田漣(G)、伊賀航(B)、伊藤大地(D)、野村卓史(KEY)らをバックにしたライブ。映画「銀河鉄道の夜」の「エンドテーマ」を皮切りに、ジャズやカントリー、ブギやブルースなどのルーツミュージックを取り入れつつ彼のオリジナルも歌う大人のコンサートだった。
アンコールもセレモニーもない
二日目は全てが一変した。これまでに2001年と今年とNHKBSで二回放送されていた「イエローマジックショー」の第三弾。ステージの進行は若手漫才のナイツ。幕が開いた舞台には芝居の書割のような家族団らんのセット。お父さん(細野晴臣)、お母さん(宮沢りえ)、おじいちゃん(高橋幸宏)、娘(水原希子)、犬(安部勇磨・never young beach)、猫(ハマ・オカモト OKAMOTO'S)。リハ―サルに参加しなかったという細野晴臣のアドリブのギャグを交えた「細野さん談義」が続き、合間に前日のバンドを従えて参加者の歌が入る。映像では星野源が演じる息子も登場した。二部の学園コントには小山田圭吾も参加していた。バラエティーの形を取りながらも坂本龍一が映像で加わったYMOのやりとりと演奏、のど自慢の形を取って登場したLittle Glee Monsterなどの歌も入る。一日目とは打って変わったファミリー・ショー形式。それぞれの扮装のままお得意の"細野ウオーク"でステージを行き来する細野晴臣が誰よりも楽しそうに見えた。
細野晴臣の軌跡は商業的な評価だけでは測れない。音楽的好奇心に突き動かされるままに変わり続けた50年。映画「NO SMOKING」での彼の言葉は「一番大切なのは自由」だった。
お決まりのアンコールもことさらなセレモニーもない。そんなに大げさに騒がなくていいよ。生粋の東京っ子ならではのユーモアとウイットに富んだしめくくりだった。
(タケ)