ロンドンで感激した大観衆また見たい パラ陸上・高桑早生の集大成【特集・目指せ!東京2020】

   パラ陸上競技の高桑早生選手(NTT東日本)は、片足に下腿義足を付けてトラック競技を行うT64(2017年まではT44)クラスの選手だ。現在の専門種目は100メートルと走り幅跳び。2012年のパラリンピックロンドン大会では100メートルと200メートル両方で7位、16年のリオデジャネイロ大会では100メートル8位、200メートル7位、走り幅跳び5位入賞を果たした。

   20歳で初めてパラリンピックに出場した高桑選手は、2020年に28歳を迎える。東京大会は、これまでの集大成にしたいと意気込んでいる。(聞き手はJ-CASTトレンド編集部・横田絢)

高桑早生選手(NTT東日本)
練習中の高桑選手 (c)Tsuyoshi Kishimoto
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リオパラリンピックで感じた手ごたえと現実

――パラリンピックに過去2大会連続で出場していますが、特に思い出に残っている出来事はありますか。

高桑 やっぱり初めてだった2012年のロンドンパラは、私にとって目にするものすべてがすごく印象深い大会でした。
それまで私が経験してきたパラ陸上の大会は、小さい競技場ががらんとしていて、スタンドには家族と関係者しかいない中で、淡々と競技が進んでいくものでした。ロンドンパラでは、お客さんがたくさん入っているのと、そのお客さんが私たちアスリートに声援を送ってくれているのが、本番のトラックに立っていてもすごく伝わってきて。その感覚が忘れられなくて、アスリートとして競技をもっと頑張ってみようかなと思ったくらい。その場に立ってみて、「すごい大会なんだな」と肌で感じました。

――2016年のリオ大会では、100メートルの日本記録・アジア記録を更新しました。その時の思いを聞かせてください。

高桑 予選で日本記録となる13秒43を出しました。決勝ではあまり好タイムではなかったのですが、大きな大会で良い記録を出せたのはすごく自信になりました。同時に、このタイムでも到底世界のトップにはかなわないんだな、という現実を見たレースでもありました。

相棒の義足と「対話」しながら

――慶応義塾大学の山中俊治教授(現在は東京大学)の「美しい義足プロジェクト」に参加されていましたね。

高桑 2008年の終わりに、「ヘルスエンジェルス」(現・スタートライン東京)という切断者が集まるスポーツクラブに行ったら、山中先生も見学に来ていたのが最初の出会いです。
私は当時パラ陸上を始めて、「これから競技をしっかりやっていきたい」と思っていました。先生はデザインという観点をスポーツ義足に投影させたいと考えていたので、私が競技場で履ける義足を作るというテーマでプロジェクトが進みました。

――プロジェクトに参加したことで、競技や義足の考えに変化はありましたか。

高桑 「どう見えたら格好いいか」や「どんな色、質感にすれば心地よく見えるのか」を、プロジェクトでは考えていました。その中で、自分自身が格好いい義足に見合ったパフォーマンスができなきゃいけない、そういう競技者になろうという気持ちをだんだん、だんだん持つようになりました。

――では高桑選手にとって、義足はどんな存在でしょうか。

高桑 体の失った部分を補完する体の一部でもあり、相棒でもあります。
自分の意のままに動かせるようになるのが最終目標ですが、そこに到達するには、義足がどんな状態なら良いパフォーマンスになるかを理解し、自分がどう動きたいのかを確立させることが必要です。義足の長さを調整したり、トレーニングの中で色々なことを試したりと、義足との「対話」をすごく大事にしていています。

――2019年6月21日放送のNHK「おはよう日本」で、今年になって義足を短くしたことを知りました。その後の試合で、好記録を出されているようですが、調整によって力が発揮できているのでしょうか。

高桑 「大きな決断をした」と言われていますが、実際はそんなに大したことじゃないんです。他のアスリートも多かれ少なかれ私と同じような調整をしています。私の場合、色々な長さを試すため前年に思いっきり長くしていたので、短くしたことが強調されたんですね。もちろん、しっかり動けるようになるための措置でしたから、効果は出ていると思います。

「見に来てよかった」と思われる走りとジャンプを

――パラ陸上競技のどこに魅力を感じていますか。

高桑 体のどこかが欠けてしまった私たちが、陸上競技に何かを「融合」させて新しいジャンルのスポーツを生み出している点です。義足や車いすなどの道具を使う種目も、使わない種目もありますが、それぞれ普通のスポーツとは少し違った工夫をして、競技を成り立たせています。

――パラリンピックまであと1年弱、現在の目標を教えてください。

高桑 11月の世界選手権に向けてトレーニングしています。4位以上かつ日本人トップになれば、東京大会の内定をもらえます。記録では、走り幅跳びでは5メートル60台、100メートルでは13秒1台を出せれば最高ですね。

――2012年ロンドン大会、16年リオ大会を経験し、ご自身はどう変化してきたと思いますか。

高桑 これまでの大会は、それぞれテーマがありました。
ロンドン大会は「チャレンジャー精神」。初めてのパラリンピックで、「当たって砕けろ、何も怖くない」みたいな。ビギナーズラックで出られたと思っていました。リオ大会は、4年間しっかり準備して挑む大会でした。「"アスリート高桑早生"にとって初めてのパラリンピック」というテーマを持っていました。
20代をパラリンピックで駆け抜けてきました。2020年はその集大成にしたい。自国開催ですし、どんな景色が見られるのか、私自身も楽しみです。

――高桑選手にとって東京大会は20代最後のパラリンピックですね。どんな大会にしたいですか。

高桑 パラスポーツをもっと多くの人に知ってもらいたいし、最低でもロンドン大会で私が経験した感動を味わえる大会になってほしい。ただ、「パラスポーツを知ってください、会場に足を運んでください」と言うからには、観客が「すごいじゃない」と思うパフォーマンスを見せることが、選手の使命だと考えています。私が出場できたら、「見に来てよかった」と全員に思ってもらえる走りとジャンプをしたいです。
私個人としては、大会が終わった後も重要だと考えています。日本のパラスポーツ分野や福祉分野が大きく変わるきっかけになってほしい。今は誰もがパラ競技に挑戦できる環境が整っているとは言えないので、誰もが当たり前に競技を始められる社会になればと思います。

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