さらば赤い大鍋 平松洋子さんは台所の戦友たちを抱きしめる
HERS 11月号の特集「ものを選ぶ新しい目」に、平松洋子さんが「応用と、発見と」と題した一文を寄せている。同誌は「女性自身」「VERY」などの版元、光文社が出す「新しい50代のための(女性)ファッション誌」である。
「友だちが『これ、誕生日プレゼント』と言いながら手渡してくれた赤い大きな鍋を三十三年使い、泣く泣く二年前に手放した」...何かにぶつけた拍子に、ホーロー引きの鍋底に1円玉大の欠けが生じ、内側の鋳物がむき出しになってしまったそうだ。
フランスのブランド鍋「ル・クルーゼ」である。平松さんが出会った1980年代半ばには知る人はまだ少なかった。贈り主の女性は輸入食品の広告に携わり、いち早くその魅力に接していたそうだ。彼女は平松さんに言う。「これで煮ると誰でも料理名人になる」と。
直径28センチ。子育て中の平松さんは、まずその重さにうろたえたが、使ってみて納得した。「ほかの鍋で作ると、どこかよそよそしい味になる」と感じるほどに。
「中火から弱火にかけたときのじんわりとした熱の伝わり方。ゆっくりと素材を手なずけ、ごく少しの水分で鍋のなかをひとつにまとめる力に舌を巻いた。当初は重いと思っていたのに、いつのまにか自分の手が求めているのだから、鍋の勝ち」
赤鍋を手放した筆者がいま、二代目を愛用していることは想像に難くない。なにしろ、惚れ込んだ末に北仏の製造元に足を運び、探訪記まで書いているのだ。
もはや体の一部
「あとふたつ、私の台所の柱がある。北京鍋、大きな竹製の蒸籠。ふたつとも中国の台所道具で、これもまた三十年選手だ。もはや自分の身体の一部どうぜん、生き物みたいな存在感がある。眺めていると、いまにも動きだしそう」
平松さんは「ことこと時間をかけて煮込む以外の仕事は、北京鍋と蒸籠があれば、すべてをカバーする」と書く。北京鍋は万能で、煮る、焼く、炒める、揚げるは当然、そばもパスタも茹でるという。蒸籠(せいろ)は蒸すのが本職だから、野菜、魚、肉まん、シュウマイとなんでもござれ。「竹製のレンジ」と称える。
どちらも、すぐ手に取れるように冷蔵庫の上に置いてある。おそらく台所で執筆の構想を練る平松さんにすれば、五役も六役もこなす仲間は頼もしい限りだろう。「長いあいだの奮闘の蓄積がおのずと顔つきをたくましく変えるらしい」と人格化までしている。
「台所の現実を見れば収納スペースは限られているのだし、物はできるだけ増やしたくない。そこで、懸命に応用し、なにかを発見する」
本作は以下のように結ばれる。全体をつなげて一般論に落とし込む手練れの技だ。
「ル・クルーゼの鍋のふたは、北京鍋で肉を焼くときに被せると熱を逃がさず、保温役にもなると気づいたのはここ最近のことだ。道具の可能性を広げて発見するところにも、家庭の台所仕事のおもしろみがあると思っている」
使い込むほどに
食文化に造詣の深いエッセイストは、使い込んだ調理具を自分なりに鍛え、また鍛えられてきたと吐露している。同志か、運命を共にする戦友かもしれない。
大御所にこれだけ褒められたら、調理具の作り手は本望だ。逆に、他の製作者は面白くなかろう。通販等で競争が激しい鍋ともなれば、なおさらだ。
愛用ブランドを明かした平松さんも、そこらの事情は百も承知で、「ほかではよそよそしい味になる」と書いたすぐ後に「もちろんそれは、あくまでも自分の好みの味からズレるという意味であって、どの鍋にも一長一短がある」と断っている。筆者もメーカーも有名どころなので、俗っぽい競争からは突き抜けている気もするが。
わが家では、平松さんとは違うブランド鍋をセットで40年近く使っている。毎日の炊飯から来客の主菜まで、たいていの調理は大丈夫だ。使い込むほどに期待に応えてくれるというなら、使う機会が多い木べらやトングなどの小物かもしれない。
平松さんは、使い込んだ調理具が発するオーラを「生き物みたいな存在感」と表現した。魂が宿ると言えば大仰だが、「泣く泣く手放した」という彼女の心境、料理好きの一人として痛いほどわかるのだ。
冨永 格