メンデルスゾーン生涯最後の交響曲 「天才」が12年費やした「スコットランド」

   現在日本で開かれているラグビーワールドカップ。アジアで同大会が開かれるのは初のことだそうですが、世界の一流のプレーヤー同士が試合をする姿をテレビ観戦だとしても間近に見られる、とは貴重な機会ですね。ラグビーはルールもよくわかっていなかったのですが、試合を見ながら、なんとなく理解できるようになりました。

   ワールドカップ、というとラグビーだけでなくサッカーも世界的イベントですが、この二つで特徴的なのは「英国」という国は出場しておらず、我々が英国と呼んでいる国は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、そしてラグビーの場合は英国の一部である北アイルランドとアイランド共和国が統一チームとなった「アイルランド代表」としてそれぞれ出場しているということです。2つの競技とも英国が発祥の地ですので、国際的な競技連盟ができる以前にそれぞれの地域としての活動実績が長く、世界連盟は発祥の地のチームにはぜひとも加盟してもらいたかったので、英国という1国ではなく、4つの「国」として参加することを認めたから、と言われています。

   日本が一次リーグを突破するために、最後に戦うことになったのが、その4か国の一角、スコットランド代表ですが、今日は、その名もスコットランド、という曲をとりあげましょう。メンデルスゾーンの交響曲 第3番「スコットランド」です。

若くして亡くなったメンデルスゾーンは、当然ながら若い姿の肖像しか残っていない
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20歳での英国大旅行で着想

   メンデルスゾーンはその短いわずか38年の生涯において、5曲の交響曲を残しましたが、番号がなぜか出版順につけられています。第4番「イタリア」と第5番「宗教改革」はメンデルスゾーンの死後に出版されたため、この順番になったのですが、実際には第3番より前に作曲されています。したがって、第3番「スコットランド」はメンデルスゾーン生涯最後の交響曲、となります。

   第4番や第5番は、メンデルスゾーン本人がその出来栄えに不満を持っていたために、生前出版されなかった、ということと併せて考えると、「スコットランド」は彼の交響曲の集大成、ともいえるでしょう。しかし、天才肌で、速筆だったメンデルスゾーンですが、この交響曲の作曲には、異例ともいう12年という時間がかかっています。

   以前、スコットランドのヘブリディーズ諸島での体験がインスピレーションとなった「フィンガルの洞窟」をご紹介しました。1829年、彼がまだ20歳の時に見聞を広めるために行った英国への大旅行・・それは20か月にもおよびました・・・の時に足を延ばしたスコットランドで、「フィンガルの洞窟」と同時に交響曲「スコットランド」の着想を得ています。悲劇の女王メアリー・オブ・スコットランド・・彼女の悲劇的な生涯が、やがてイングランドとスコットランドの同君連合、ひいては「英国」という連合王国の誕生の基礎となりました・・・の史跡であるホリールード宮殿を訪れた時、メンデルスゾーンの頭には交響曲の冒頭のメロディーがうかんだ、と故郷の両親に書き送った手紙に記されています。

この交響曲に並々ならぬ熱意を注いでいた

   若いグランド・ツアー旅行の時にきっかけはつかんだものの、この交響曲が完成するまでには、速筆のメンデルスゾーンとしては(速筆でなければ、あの短い生涯に演奏家や指揮者や教育者をしながらあれだけの作品を残すことはできません!)異例の長期間がかかりました。

   二十代のメンデルスゾーンは、作曲家として大規模なオラトリオやカンタータ、劇音楽、交響曲第4番に第5番、室内楽と様々な作品を生み出していきましたし、指揮者としてはデュッセルドルフやライプツィヒやベルリンで活躍し、少し前の時代の音楽、つまり「クラシック音楽」を聴く習慣をベートーヴェンやシューベルト作品の復活演奏などで人々に浸透させました。さらに結婚もし、音楽学校の設立にも奔走し、と休む間もなく音楽家として活動していたのです。

   構想から約12年、やっと33歳の時に交響曲第3番(繰り返しますが作られた順番は最後の5番目です)を完成させることになるのです。その後も改訂を繰り返しますが、そのことから見ても、彼はこの交響曲に並々ならぬ熱意を注いでいたことがわかります。

   インスピレーションは、スコットランドの悲しげな風景から得ているので、第1楽章はその悲劇を思わせるような悲しげな旋律からスタートしますが、全4楽章で40分ほど演奏時間がかかる大作を通して聞くと、ロマン派初期を代表する天才音楽家である彼の世界を存分に味わえます。「メンデルスゾーン最後の交響曲」は、天才が熟考に熟考を重ねて練り上げた1曲です。

   あくまでメンデルスゾーンがスコットランドを訪れた時に「冒頭の旋律が頭の中に浮かんだ」というだけで、そのほかはスコットランド風な要素があまり見られない曲でもありますが、メンデルスゾーンの生前からこの曲は「スコットランド交響曲」として知られ、本人もその愛称をいわば追認する形になっていたので、現在でもその名で知られています。

本田聖嗣

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