地名のワナ 渡辺静晴さんは高校生の会話を聞いて校閲マンに変身した
サンデー毎日(9月15日号)の「校閲至極」で、毎日新聞校閲センターの渡辺静晴さんが地名に潜む落とし穴について書いている。同紙の校閲記者が交代で執筆するこのコラム。ライバル紙とはいえ、現役時代にお世話になった校閲さんのプロ意識をこうして垣間見ることができるのは、私としても恐悦至極である。毎週楽しみにしている。
「学校が夏休みのため、すいている電車内に男子高校生が2人乗り込んできて座りました。スマートフォンを操作するか音楽を聴くか、どちらかの行動をとるのだろうなと思っていると......なんと、世界地図帳を取り出して、国・首都名当てクイズを始めたではありませんか!『マケドニアの首都は?』『スコピエ』という具合に」
初出で「スマホ」と書かないのが校閲マンらしい。渡辺さんは40年以上前の高校の自習時間を思い出し、「いまでもやっているんだ」とうれしくなったという。
国と首都の組み合わせ。有名どころが多いアジアや欧州と違い、アフリカと中米が難問の宝庫らしい。「ヌジャメナを首都とするアフリカの内陸国は?」「チャド」「中米ホンジュラスの首都は?」「テグシガルパ」...若い頃そんな知識を競い合った渡辺さん。「地理の試験には全く出題されず、がっかりしたことを覚えています」というが、その向学心は校閲者として大いに役立っている。
新国名「お忘れですよ」
地名のミスは、人名や数字と同様、新聞記事の致命傷になりかねない。渡辺さんが「最近の実例」に挙げるのは、「ブラジルの首都リオデジャネイロ」「スリランカの首都コロンボ」という表現。いずれも首都は別都市なので、その2文字を削って紙面は救われた。
「オーストリアの首都シドニーで一同に会した各国首脳」という三重ミスもあったそうだ。一般論だが、締め切り間際に一線記者が放り投げてきた原稿を、デスクはバタバタと処理する。とんでもない地雷がどこに埋まっているか、分かったものではない。
首都の改名や日本語表記の変更、遷都もあるので、最新の国際情勢を頭に入れておく必要がある。代表例がカザフスタンの都だという。アルマアタ→(改名)アルマトイ→(遷都)アクモラ→(改名)アスタナと変遷し、今年、初代大統領ナザルバエフの名であるヌルスルタンに改名された。さて、冒頭の高校生たちはフォローできているだろうか。
「楽しそうに下車していく彼らを見ながら、何か引っかかるものを感じたのはその時です。マケドニアだ!」...高校生たちのクイズに出てきたバルカン半島の小国である。歴史的経緯から隣国ギリシャが国名変更を求めており、昨年6月に「北マケドニア」で決着、今年から新たな国名となった。マケドニアなる国はもはや存在しないのだ。
それを思い出した筆者は、職業柄とっさに腰を浮かしたに違いない。
「閉まりかけたドアに駆け寄って『忘れ物です』というのも変だし、このコラムを読んでくれたらなあ」。末尾の気の利いた一文が、全体をきれいに締めた。
感謝の缶入りあられ
新聞や雑誌の品質管理において、校閲の仕事は文字通り最後のとりでだ。よく読まれる「天声人語」のようなコラムについては、念には念を入れて精査してくれる校閲者が多い。私の時代は、暮れに執筆陣(といっても2人だが)のポケットマネーで、大きな缶入りあられを贈るのが常だった。昼夜を分かたぬ精進への感謝である。なにしろ、お陰で命拾いした経験は二度や三度ではきかない。
内外の地名は、渡辺さんが書くように「たまに変わる」から始末が悪い。国内では市町村の合併が曲者だろう。文字列にしれっと隠れたミスを発見するには、集中力はもちろん、森羅万象についての豊かな知識と、たゆまぬアップデートが欠かせない。
そして何より、マケドニアに渡辺さんが感じた「何か引っかかるもの」を捉える感性が必要だ。それはたぶん、失敗を含む経験でしか培われないものだろう。
校閲に関するコラムでありながら、机上のレクチャーや豆知識に終わらず「現場」に出ているのがいい。「表現の審判員」もジャーナリストなのだ。
冨永 格