フランツ・リスト70歳で作った曲 時代を先取りしていた「暗い雲」
クラシック音楽におけるロマン派の時代は、1810年ごろに生まれた作曲家たちによって、発展し、19世紀を彩り、音楽そのものの流れを決めたといってもいいでしょう。
先週登場した1809年生まれのメンデルスゾーン、1810年生まれのショパンとシューマン、1811年生まれのリスト、誰もが知るロマン派の作曲家たちがこの3年にかたまって誕生している、というのは音楽史にとってちょっとした奇跡です。
しかし、誕生年は近いですが、亡くなった年は1人だけが大きく違います。メンデルスゾーンは38歳、ショパンは39歳、シューマンは46歳でなくなっていて、いずれも短い生涯でしたが、今日の主人公、フランツ・リストは、当時としてはかなり長命の74歳の天寿を全うし、1886年7月31日に亡くなっています。少し乱暴なことを言えば、前の3人は「19世紀前半の人達」だったのに対し、リストは、19世紀全体を生き抜き、そして、たくさんの影響を音楽に与えたのです。
今日は、そんなリストの晩年の作品、ピアノ曲「暗い雲」S.199を取り上げましょう。1881年、リストが70歳の時の作品です。
ワーグナーもリストからアイデア拝借
ロマン派の華やかな人たちと同時代に生まれたので、リストは、その生涯の前半にばかりスポットライトがあたっています。すなわち、実際はドイツ語圏の出身だったにもかかわらず「ハンガリー出身」というエキゾチックさを前面に打ち出し、その美貌とピアノのスーパーテクニックでパリの社交界などで活躍して、女性遍歴もなかなか華やか・・・もちろん、これらのイメージもリストの「ある1面」ではありますが、彼の生涯の全体から見たら、ごく一部分なのです。
リストはまず、ピアニストとして活躍しましたが、作曲家としても幅広い、ショパンのようにピアノ作品にだけ偏った作曲家ではなく、交響曲に代わって「交響詩」というジャンルを開拓した人でしたし、指揮者としても、教育者としても、批評家としても活躍した人でした。しかも、彼は各方面で後世にかなりの影響を与えました。すなわち、ピアニストとしては、卓越したピアノの技術を弟子たちに時には無償で伝え、作曲家として彼が打ち出した数々の新機軸は、フォロワーたちによって受け継がれたのです。リストの娘コジマの夫となり、19世紀後半の欧州の音楽シーンを席巻したといってよいワーグナーも、実は、リストから拝借したアイデアが数々あります。
20世紀を20年以上先取りした先見性
「ラ・カンパネラ」や「エステ荘の噴水」や「タランテラ」や「ピアノソナタ ロ短調」といった、演奏会映えする、長い曲を多く残したリストですが、晩年作曲したピアノ曲は5分程度のごく短いものが多く、しかも、斬新なものが多くなっています。どこが斬新かというと、クラシック音楽の根幹である長調や短調といった「調性」から、逸脱気味で、彼の没後20世紀になってから登場する「無調音楽」に通じるところがあるのです。
「暗い雲」は、まさにその題名の通り、不気味かつ陰鬱な雰囲気の旋律から始まる短い曲です。しかし、単なる雲や天候の描写ではなく、19世紀の様々なシーンを生き抜いたリストが到達した、深い哲学的な境地を思わせる曲となっています。
多くの彼のレパートリーとは異なり、華やかでも分かりやすくもありませんが、じっくり噛み締めて聴きたいリストの晩年の味のある曲です。そこには20世紀の未来を20年以上先取りしたリストの先見性をも見ることができます。
本田聖嗣