西郷隆盛も感染した風土病   
日韓で征圧した歴史を探求

   感染症の歴史学を研究する青山学院大学文学部の飯島渉(わたる)教授は、長崎大学熱帯医学研究所を訪ねた際、ある文献に目が留まった。

   「長崎で発生したリンパ系フィラリアという感染症を、戦後征圧したときの資料を読んでいたんです。すると、長崎での治療経験が、韓国の済州島(チェジュド)でリンパ系フィラリアが発生した際に生かされた、という話が書かれてありました。済州島の風土病の征圧に長崎大学の研究者たちが関わっていたんですね。そのときこう思いました。どのような経緯で征圧に至ったのか。当時の日韓の研究者がどのような形で力を合わせたのか。一方で済州島の患者さんたちは、どんな治療を受け、どんな治療効果を得られたのか。それをヒアリングして記録として残しておきたいと・・」

青山学院大学文学部の飯島渉(わたる)教授。感染症の歴史学について研究するグループ「感染症アーカイブズ」を設立。ホームページに感染症、寄生虫病、風土病に関する資料を整理・保存し、この領域に関心のある方々に情報を提供している(写真 菊地健志)
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古代に大陸から持ち込まれた

   公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団の2018年度助成受贈者となった「感染症アーカイブズ」代表の飯島は、7月からこの研究を具体的にスタートした。

   感染症というと、古くは天然痘(とう)、コレラ、結核、インフルエンザ。近年ではHIV/AIDSのように、世界的に人口を減らす衝撃をもった疾患を思い浮かべがちだ。

   しかし、にわかに人命を奪うほどではないが、慢性化すると日々の生活に支障をきたす風土病がある。リンパ系フィラリア、マラリア、日本住血吸虫症などである。

   1970年代まで日本でも発生していたが、征圧に成功した。しかし、世界を見渡すと中国、アジア、アフリカでいまだに発生し続けている。

   飯島は、こう言う。

   「感染症が発生した地域で、治療、予防、公衆衛生にあたるのは医療関係者の仕事です。私は、その詳細を資料で調べ、関わった医療スタッフ、治療を受けた人々に聴き取りをして記録する作業をしています。それは、これから感染症が発生する可能性のある国や地域の人々に役立ててもらうためです」

   リンパ系フィラリアは、蚊に刺されることで感染する。症状としては、悪寒をともなう発熱、リンパ系にも寄生するため陰嚢(いんのう)が腫れ上がる陰嚢水腫(すいしゅ)や足がゾウのように腫れる象皮病(ぞうひびょう)、あるいは尿の白濁(はくだく)などがある。

   リンパ系フィラリアにかかった著名人といえば、幕末の志士・西郷隆盛がいる。西郷は一時、奄美大島に島流しにされていた。そのときに感染したと推測される。奄美大島は当時、リンパ系フィラリアの流行地だったからだ。

   リンパ系フィラリアの歴史をたどると、人類が二足歩行を始めた時から存在するという説もあるが、数千年の歴史しかないという説もあり、確定していない。

   「ただ、伝播(でんぱ)するには感染した人の移動が必要です。縄文から弥生時代、あるいは中国との交流が活発になった古代(古墳時代から平安時代)に大陸から持ち込まれたと考えるのが妥当でしょうね」

   リンパ系フィラリアは、島や半島などで発生するケースが多い。生態系が関わっていると考えられているからだ。日本でいえば、四国、九州、沖縄などである。韓国でも、やはり島が多い。

米が開発した特効薬を服用

   ところで、長崎でのリンパ系フィラリア征圧はどのように成功をおさめたのだろうか。

   当時の厚生省は、1962年からリンパ系フィラリアが流行する地域で発生の実態調査をしている。鹿児島、長崎、熊本、宮崎、大分、高知の各県と東京都伊豆諸島だが、長崎県では血液検査をした20万2941人中2660人が陽性反応を示した。

   それに対して長崎大学風土病研究所(のちの熱帯医学研究所)が手掛けた、西彼杵(にしそのぎ)郡大瀬戸町松島(現・西海市)における対策が興味深い。

   対策の指揮を執ったのは、片峰大助。長崎大学風土病研究所教授である。陸軍軍医中尉として中国大陸に駐屯した経験があり、中国・浙江省(せっこうしょう)でリンパ系フィラリアに接したことがその後の研究につながった。

   征圧のキーになったのは、ジエチルカルバマジン(以下DEC)という駆虫薬だった。戦後すぐに米国で開発された特効薬である。ただ当時、日本人の大勢の患者に、どのように服用させるかという方法が確立されていなかった。

   「まず、薬の服用量です。日々の服用量とトータルの服用量、そして服用頻度。飲ませ方も肝心です。患者さん一人一人に手渡して、飲んでおいて下さいといっても飲まないことや、飲み忘れるという可能性があります。感染症治療の場合、こうしたことは避けなければなりません」

   決められた量のDECを、地域によって飲ませる条件を変え、効果を比較した。「毎日連続30日間」、「3日ごとに30日間」、「週1回を10週間」の3パターン。このうち「3日ごとに30日間」の服用が、もっとも良い効果をもたらすことがわかった。

   飲ませ方にも工夫が加えられた。必ず服用したことが確認できるようにするため、地元の婦人会が協力したのである。公民館や集落の組長の家に集まってもらい、決まった時間に服用したのだ。

   さらに血液検査で陽性反応が出た人だけでなく、陰性反応が出た人(満5歳以上)に対しても、予防的にDECを一定量投与した。こうした取り組みが、リンパ系フィラリア拡大の抑制に役立ったのは重要な点である。

   こうして長崎のリンパ系フィラリア征圧は成功した。その事例に強い関心をもつ研究者が韓国にいた。ソウル大学の徐(ソ)ビョンソル教授である。1960年代後半、済州島などでリンパ系フィラリアが流行していた。

当時の研究者や患者から話を聞く

   日本列島や琉球諸島で流行したのは、バンクロフト糸状虫。済州島の寄生虫は、マレー糸状虫だった。ただ、いずれのリンパ系フィラリアにもDECが効果的であることはわかっていた。

   徐教授が、片峰教授に連絡を取り、長崎大学とソウル大学がリンパ系フィラリア征圧を目的にしたジョイントプログラムを組むことになった。それは1970年のことだった。

   だが、日本の植民地支配から解放され、25年しか経っていない。しかも1948年に大韓民国が樹立される4か月前、米軍政庁下で起こった4・3事件で軍警察と右翼勢力によって2万5000人~3万人の住民が殺戮(さつりく)される凄惨な事件が起きている。

   そうした悲惨な歴史を経験した済州島で、治療途中に緊迫した場面があったという。

   「済州島の人々にDECを使ったときに出た発熱です。薬の副作用なのですが、どうやら『日本人に毒を飲まされた・・』というシリアスな反応もあったようです。そのあたりは歴史的に敏感な問題なので、慎重に調査をしていきたいと思っています」

   「感染症アーカイブズ」としての飯島の調査は、長崎と韓国の双方で実施する。1970年に片峰大助と一緒に治療に携わった研究者も参加するという。当時、鹿児島大学の助教授だった多田功九州大学名誉教授。大学院生だった青木克己長崎大学名誉教授。両人には、どのような医療作業が行われたかを具体的に聴き取りをして、なおかつ長崎の調査やソウル大学における調査にも同行してもらう。

   長崎大学熱帯医学研究所熱帯医学ミュージアムに、各地のリンパ系フィラリア征圧に関係する一次資料が残っており、患者だった人たちにもインタビューする予定だ。

   「長崎での治療から50年以上たっています。当時、治療を受けた人は高齢になっているケースが多い。話を聞ける最後のチャンスになるかもしれないので、今回の調査は貴重なものになると思っています」

   リンパ系フィラリアは、薬によってかなり征圧が進んだと言われているが、いまもニューギニア、アフリカなどに一定数の患者がいるという。そもそも薬を飲んだことのない地域の人々に、日本で行ったような確実に服用する環境をいかに整えるかである。

   「文化の違いもあるので、それぞれの国・地域なりの対応を工夫しなければならないけれども、征圧事例を整理し、何が必要かを明確にしておけば応用がきくと考えています」

   飯島によれば、かつて日本は感染症・寄生虫病対策のリーダーシップを取る姿勢を世界に示した時があったという。その中心人物は橋本龍太郎元首相で、1998年のバーミンガムサミットで、「20世紀にさまざまな寄生虫病を克服した日本が、その経験を生かして世界で寄生虫対策のために積極的な役割を果たすことを約束する」と宣言した。

   これは「橋本イニシアティブ」といわれ、世界のいくつかの場所に研究拠点を設けた。

   「済州島のリンパ系フィラリア征圧に関して、これまで日本が蓄積してきた知見は他の地域の感染症対策や寄生虫対策にも生かされただろう」と、飯島はみている。

   公益財団法人韓昌祐・哲文化財団からの助成によって調査研究を開始する「感染症アーカイブズ」の調査プロジェクトは、1970年代に日韓の医師がいかに協力して済州島の風土病を征圧したか、という貴重な歴史を掘り起こすだけでなく、世界の感染症対策のために価値ある資料を提供するに違いない。 (敬称略)

(ノンフィクションライター 西所 正道)

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