震災学び未来に伝える「命の教育」 福島・新地高校「統廃合」で揺れる「おもひの木」精神のゆくえ
東日本大震災の被災地のひとつ、福島県新地町。死者は118人にのぼり、JR常磐線の線路や新地駅の駅舎は津波で流出。2016年12月までは代行バスを利用せざるを得なかった。新地町に立地する県立新地高校でも、津波で当時の在校生1人と、震災10日前に卒業式を終えていた卒業生8人が犠牲となった。
同校では追悼のため2017年3月11日、校内に沙羅の木を植樹し「おもひの木」と名付けた。合わせて、生徒を中心に震災の風化を防ぐ取り組みを続けている。
しかし、同校は2022年度に相馬東高校と統合されることが決まった。「おもひの木」の精神がどう引き継がれるか、不透明だ。
津波到達点を調べ上げた生徒、石碑に刻んで後世へ
2017年の植樹とともに始まった「おもひの木プロジェクト」では、生徒たちが津波について学び、記憶の風化を抑制するための学習を続けている。
同校の「おもひの木プロジェクト活動報告書」によると、参加した生徒たちは、震災体験を伝える「語り部活動」を行ってきた。その範囲は福島県内にとどまらず、宮城県や岩手県、徳島県まで足を運んだ。
さらに、津波の到来を調べて後世への警鐘とする取り組みもあった。過去に大津波が発生した新地町で、869年の貞観地震と1611年の慶長奥州地震では文献が残っているが、東日本大震災が発生するまで地元では伝承されず、「この町に大津波は来ない」と信じられていた。
そこで、8年前の震災による津波で被害の大きかった町内の大戸浜地区を生徒が調査し、標高13.5メートル地点まで津波やがれきが到達した事実をつかんだ。
「これより高い場所に逃げてください」
と石碑に刻み、伝えていこうと計画している。
プロジェクトに携わる新地高3年の生徒は、福島県内や徳島県で語り部活動に参加したひとりだ。J-CASTトレンドの取材に、「震災時に私が避難生活を送った話を、小学生から大人まで皆さん真剣に聞いてくれました」と振り返った。震災経験は人によってさまざまで、「相手が自分よりつらい思いをしていたら」と考えると、同じ町内でも話をする機会がなかなか持てない。プロジェクトのおかげで、福島県内外にも自身の経験を伝える場が広がり「高校生活で重要な活動となりました」。
2年生の生徒は、先輩の活動を見て「私にも伝えられることがあるかな」と参加を決めた。家族や身近で起きた被災体験を、語り部として発信する。同校では毎月11日、月例会として生徒が集まり、亡くなった人を悼み災害について考える。「友人と震災の話をすることで記憶としてとどめ、震災があった事実を決して忘れてはいけない」と力を込めた。
生徒は「今のままの形、場所」を望む
福島県教育委員会が2019年2月に公表した「県立高等学校改革前期実施計画(2019年度~2023年度)」には、「県立高等学校の再編整備」の内容が盛り込まれた。統合される高校が複数あり、新地高と相馬東高が含まれる。両校は2022年度に募集を停止し、統合後は相馬東高の校舎が使用される。
「統合校における教育活動の方向性」として、「新地の実践してきた命の教育や震災被害の伝承活動などを防災教育の観点から継承するなど、地域と連携した教育活動の充実を図ります」と書かれている。
福島県教委はJ-CASTトレンドの取材に、「現在は両校や地元の人々に、統合計画の背景や方向性を丁寧に説明している段階」とし、「まずは地域の皆さんのご理解を得ることが重要です」と話した。「おもひの木プロジェクト」がどのように受け継がれるか、沙羅の木そのものは植え替えられるのか、といった具体的な内容が決められるのは、その後になる。
プロジェクトに携わる生徒の心境は複雑だ。
「『おもいの木』自体、今の場所にあることに意味があるのです。私は先輩が経験したことを受け継ぎ、後輩に話してきました。今後高校生になる人たちにも語り継いでいってほしいし、忘れないでほしいです」(3年生生徒)
「統合先に(プロジェクトや木を)持っていけばいいという単純なものではありません。今のままの形、場所で月例会を続け、活動も継続してもらいたい」(2年生生徒)
今年の3月11日も、新地高では追悼行事が開かれた。亡くなった9人の先輩をしのび、在校生が黙とう。さらにこの日は、全校生徒が震災関連の話を聞いた。統合後、震災の記憶の伝承はどのような形で続けられることになるだろうか。
(J-CASTトレンド編集部 荻 仁)