未来を語るには「今までにない言葉」が必要になる
■『デジタルネイチャー』(落合陽一著、PLANETS)
昨年日本語版が出版された「ホモデウス」は、これから100年の人類社会の変化について語っている。本書は、そうした未来を「デジタルネイチャー」として解き明かす。「人間」、「社会」、「国家」といった現代社会の概念は社会契約論に由来するが、計算機時代の市場経済や人類種の機能の拡張を前提とした未来を語るには、今までにない言葉が必要になるという。また、コンピューターの統計的手法は、言語を超越する。そうした認識を考えるには、東洋文明のアプローチを活用する必要があると。
著者の落合陽一氏はコンピューター科学者であると同時に、ビジネスにも携わる。今年出版された「日本進化論」では日本の社会問題を考える政策の道筋を示してくれている。
事事無礙法界(じじむげほうかい)
四世紀に成立した「華厳経」は、世界の認識のあり方を四段階に分け、私たちが慣れ親しんでいるのは、眼に見える「事法界」と眼に見えない原理を加えた「理法界」。そして最終的な悟りの段階は、事象と事象との直接的な関係からなる「事事無礙法界」である。ひとつの事象にすべての事象が織り込まれ、我々に見えるのはその顕現のひとつに過ぎない、と考える。本書のキーワードのひとつは、End to End。この悟りの世界に近いものだ。いま私たちは、論理と言語を用いて自然界を記述しているが、これに加えて、コンピューターが、事象と事象の関係を統計的アプローチで解明してくれる時代に入るのである。
機械と人間のコラボレーション
人体は、脳と手足などの器官が神経電位によってつながっており、通信と制御のモデルと考えることができる。米国の数学者Norbert Wienerが20世紀前半に提唱した「サイバネティックス理論」である。現代のロボット制御は、この「サイバネティックス」の方法論を用いている。
このモデルをもとに、機械と人間のコラボレーションを展望すると次のようになる。工場の流れ作業を担う労働者は耳と眼を使いながら正確に筋肉を動かしている。この作業では人間を機械のように扱っており、人間がもつ未知の課題に創造力を生かしきれていない。これからは、人間は、機械のフレームに収まらない要素を見つけ、周囲に問いかけ、仲間で知恵を絞る。機械と人間が両輪となる技術進歩が起きるのである。
人と人とのコミュニケーションにも変化が生じる。機械がコミュニケーションを仲介することにより、発話者の置かれた状況や趣味嗜好をもとに、機械が内容を補足して、発話者の意図を汲んだ記録にすることができる。異なる言語のコミュニケーションであっても問題のニュアンスまで含めて伝え合うことができる。
もうひとつの新しい現象は、背後にある論理が突き止められないままに有用な知識が得られるということだ。統計学的な手法でコンピューターが出す結論は、囲碁や将棋の対局のように、背後の論理はよくわからなくても、それが一番良い選択、ということになる。これまで慣れ親しんできた科学では、人間が言語を用いて得た知識を「真理」と呼んできたが、コンピューターの解析による「真理」が出てくる。「有用であれば、真理はいくつもある」というプラグマティズムの考えと重なる。
中高校生、大学生はなにを学び、どう働く時代になるか
数多くの研究分野において、人工知能やロボティクスの専門家を交えた研究開発が増えるといわれている。人工知能と距離を置く研究者の影響力は相対的に小さくなる。
教育の現場でなにが起きているか。2011年頃に修士が研究した成果を、いまでは、15歳前後の中高生が、学習課題として取り組み、短期間でやり遂げることができる。人工知能、通信、機械学習の知識や技術がコモディティ化している。ある程度の下地を身に着けさえすれば、短期間で高度な技能を身につけられる。大学のトップクラスの講義だけでなく、最新の技術について、インターネットで学習する効率的な教材がすでに提供され始めている。
これからの世界では、ひとつの分野、場所で努力を続ける働き方よりも、自分の才能に賭けて得意分野を伸ばし、弱点は周囲と補い合う働き方が有利になる。まずはできることをやる。その結果、事後的に自分らしさが養われる時代になるという。
経済官庁 ドラえもんの妻