再訪「フューチャー・デザイン」
■『フューチャー・デザイン』 「学術の動向」(2018年6月号、日本学術協力財団)
■『Future Design - Thinking about our Legacy to the Next Generation』 「Japan Spotlight」(March/April 2019、Japan Economic Foundation)
評者は2016年4月の本欄で、西條辰義編著『フューチャー・デザイン 七世代先を見据えた社会』を紹介したことがある。同書は、地球温暖化や財政の持続可能性の問題を念頭に、いまだ生まれざる将来世代になりきって現在の意思決定に参画する者(仮想将来世代)を導入することを通じ、社会的な決定の仕組みを変革することを提言していた。
当時、評者はこのアイデアに魅力を感じ、その社会実装を進める上で、三つの論点、すなわち、1)その将来世代とは「誰」のことであるのか、2)その将来世代とは、どのような「理論」に基づき主張する人たちか、3)その将来世代とは、どのような「価値観」を持つ人たちであるのか、を熟慮する必要性を指摘した。その上で、まずは小回りの利く地方自治体での実践や実験室での研究を重ねることとしてはどうかと述べた。
世代間をまたぐ課題に取り組む総合科学へと成長
ここに紹介する「学術の動向」(以下、「学術」)「Japan Spotlight」(以下、「JS」)の組んだ特集は、この数年の間に、関連研究がどこまで成長したか教えてくれる有用な資料となっている。
はじめに読みたい記事は、「JS」の掲載する西條教授による「Beginning of Future Design」であろう。この記事は、新しい研究の立ち上げという稀なイベントについて、当事者がその内側から語ったいわば"史料"ともいうべきものである。フューチャー・デザインはAmherstの中華料理店での何気ない会話からはじまった。その会話からヒントを見出す嗅覚、まわりの研究者のサポート、これらのいずれを欠いても、フューチャー・デザインという研究が世に出ることはなかった。
特集は、フューチャー・デザインが、自治体での実践から財政、投票制度、さらには哲学、脳神経科学といった多彩な分野を巻き込みつつあることを教えている。人類の持つ科学的知見を総動員し、世代間にまたがる課題に取り組む総合科学といった様相を呈するようになってきている。そして、おのおのの研究が、自治体での実践や実験室での検証に支えられることで、言葉を重ねることだけでは到達しがたい、社会実装という目標に一歩一歩迫っている。
自治体での実践としては、岩手県矢巾町での事例が紹介されている。矢巾町当事者の立場から吉岡律司氏の報告(「学術」「JS」)が収録されており、研究者の立場から大阪大の原圭史郎准教授の報告(「学術」)が収められている。吉岡氏によると、住民は「値下げを主張する一方、水道の安全性やおいしさについても求める」ものだとのことである。これに対し、施設の老朽化の実態を知ってもらい、議論を重ねることで、現在は黒字であるにも関わらず、水道料金を引き上げるべしという提案が住民の側から出てきたという。この経験を踏まえ、町では現在、様々な計画をフューチャー・デザインの手法により策定しているという。現世代と将来世代が異なる利害を持つ場合、仮想将来世代になるよう指示された住民はどのような主観的経験を持つのか。吉岡氏や原准教授は、高知工科大の中川善典准教授の研究を引きつつ、現世代と将来世代というふたつの人格がコンフリクトを起こしていたわけではなく、住民は両世代を俯瞰する視点を獲得し、その体験を楽しんでいたと指摘している。自治体での実践は、他にも広がっており、長野県松本市での実践を信州大の西村直子教授らが報告(「学術」)している。
世代間問題を考える際、「シルバー民主主義」という言葉を耳にすることがある。高齢化した社会では、負担の先送りを好む高齢者の票の重みが増すことから、抜本的な温暖化対策も財政再建策も採用されえないという仮説である。特集には、このシルバー民主主義論に疑問を投げかける興味深い論文が複数掲載されている。例えば、東京大の斎藤美松氏と亀田達也教授の論文(「学術」)では、死を意識しやすい高齢層では、かえって自分という個体に直接の便益がなくとも将来世代に貢献したいという動機が強まるという仮説を提示し、2000人のアンケート調査から、この仮説を裏付けている。シルバー民主主義の是正策として、子供を持つ大人に追加の一票を与え、子供世代の利害の代弁をさせるという提案(ドメイン投票)がされることがある。高知工科大の肥前洋一教授は、このドメイン投票を実験室で再現した結果を報告している(「学術」「JS」)。報告では、ドメイン投票制度のもとでは、子供のいない高齢者において、(一人一票制のもとに比べ)自身(高齢者)の利害に基づく投票行動が強まったという意外な結果が紹介されている。斎藤氏らのいう高齢者が本来持っている将来世代のために貢献したいという動機が、ドメイン投票制度によって減殺されてしまっていると解することができる。
慶應大の小林慶一郎教授は、仮想将来世代の仕組みの創設が、民主政のもとで正当化できるかと問うている(「学術」「JS」)。この問題は困難であると同時に基礎的な問いである。困難であるとは、現世代のみが投票権を持つ民主政のもとでは、現世代の利害を損ないかねない仮想将来世代の導入は抵抗にあうと予想されるからである。基礎的であるとは、現行の統治原理の核心である民主政に反する制度の導入は許されず、民主政による正当化が必須条件であるからである。小林教授は、ロールズの公正貯蓄原理の議論を敷衍し、仮想将来世代の導入を正当化する興味深い議論を展開している。
「選好が変わる」というモチーフ
「学術」「JS」の諸論文を通観して浮かび上がってくるのは、「選好が変わる」というモチーフである。平たい言葉でいえば、選好とは好みというほどのものである。世代間の文脈では、現世代と将来世代の利害それぞれをどの程度重んずるかということである。そして、フューチャー・デザインを通じ、参加者はより将来世代の利害を重んずる方向へと選好を変化させるというのである。ここで主張されていることは、将来世代に一票与えることで決定の重心が将来世代側にシフトするということだけではなく、決定に参画する個人の意見そのものが変容するということなのである。
先にみた吉岡氏や原准教授の論文では、仮想将来世代を演ずることで、参加者はこれまでとは違う俯瞰する視点から物事をみるようになるのであった。そして、高知工科大の青木講師は、そのような変化の神経的基盤を発見することができる可能性を指摘し、その発見を今後の研究課題と設定している(「学術」「JS」)。一橋大の斎藤誠教授の論文(「学術」)は、端的に「仮想将来世代との対話で現在世代の選好は変わるのか?」と題されており、対話を通じて、時間割引率が変化し、参加者は未来の出来事をより重視するようになるのではないかと示唆する。
経済学では、選好は不変とみなされるのが通例である。選好が安定的であることを前提に、価格や所得の変化に応じ、財の需要が変化する。経済学においても選好が変わることを織り込む理論はあるが、財への好みが変わることをいちいち許容しだすと、まともな議論ができなくなるため、普通は安定的な選好を前提に議論する。先だって、フューチャー・デザインを総合科学と形容したが、この総合科学たる所以の最たるものが、この選好が変わるというモチーフなのである。選好が変わるとは、価値観が変わるということである。このような問題は、個人レベルでは心理学や哲学、社会規模では社会学や政治学が扱ってきた課題である。
この選好の変化というモチーフの追究を通じ、フューチャー・デザインの研究は、学際研究のひとつのモデルとして、科学一般に対しても意義を持つことになるかもしれない。
ふたたび今後の一層の知的作業に期待したい
2016年の書評で、評者は「今後の一層の知的作業に期待」と書いて結びとした。ふたつの雑誌の特集をみる限り、評者の期待は裏切られなかったと受け止め、まずはこのことを喜びたい。
その上で、さらなる期待を込めて、ふたたび一層の知的作業に期待したいと思う。評者が3年前に指摘した三つの論点については、まだ開拓の余地があるようにみえる。特に二番目の論点として挙げた、「その将来世代とは、どのような『理論』に基づき主張する人たちか」という点は差し迫った問題である。2016年の書評では、温暖化については、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という専門家集団が、国際標準ともいうべき温暖化シナリオを検討しているものの、米国では温暖化リスクは過大に見積もられているという見解が依然一定の力を持っていると警告した。案の定、その後成立のトランプ政権のもと、米国での温暖化対策は逆行の様相を呈している。我が国の財政についても同様である。この3年の間に起きたことは、高い成長によって財政問題は解決できるという議論や、国内で借金が賄えているから、国の借金は心配には及ばないという主張によって、財政の持続可能性への危機感が押しのけられてしまったことである。仮想将来世代がいかなる理論に基づき意見を述べるかを考え抜くことなしに、フューチャー・デザインが自ずと望ましい決定をもたらしてくれると期待するならば、楽観的すぎる。
自治体での実践においても同様の課題がある。仮想将来世代となる住民は、(例えば)2060年の町について、いかなる事実と見通しに基づいてイメージを膨らませるのだろうか。住民の自由な発想は尊重されるべきだが、同時に基礎的な事実を提示する専門家の役割がここにはあるのではないか。
もうひとつ肝に銘じたいことは、現在と将来の利害のトレードオフという、中心的課題を見失わないことである。深刻なトレードオフを突き付けられたとき、人が引き続き仮想将来世代であることを喜んでいられるかどうかは分からない、と評者は思う。もしかしたら、人はそこで黙り込んでしまうかもしれない。しかしながら、本当のフューチャー・デザインは、この沈黙のうちからようやく発せられる一言からはじまるのかもしれない。
西條教授は、ヒトは「将来可能性」という、たとえ現在の利得が減るとしても、将来世代を豊かにするような行動を取ること自体によって喜びを感じる性質を持つという仮説を提示している。沈黙のうちから発せられるその一言が、「将来可能性」を手繰り寄せる導きの糸になればよい。
経済官庁 Repugnant Conclusion