戦場に散ったG.バターワース 世に残したかった「イギリス田園牧歌」
日本では桜の季節が終わると若葉の季節ですね。強さを増す太陽の光の下で、緑が目に染みるようになりますが、欧州の中で、比較的日本と気候が似ている英国の田園風景を想像させるオーケストラの曲を、今日は取り上げましょう。ジョージ・バターワースの「イギリス田園牧歌」です。「田園詩曲」と訳されることが多いのですが、Idyllsという原題は「牧歌」と訳すのがふさわしいような気がします。
イングランドの田園風景を見事に音で描いた
バターワースは1885年、ロンドンのパディントンに生まれました。大都会の出身ですが、彼の祖先は北部ヨークシャーの出で、幼いころ、両親と共にノースヨークシャーの街、ヨークに移り住みます。父親がノース・イースタン鉄道の支配人となったからでした。彼はその地で、結婚するまではプロのソプラノ歌手だった母親から音楽の手ほどきを受けます。その後、名門イートン校、オックスフォード大学のトリニティ・カレッジに進学し、音楽の才能を発揮しはじめ、音楽の道に進みたいと思うようになりました。特に、生涯の友人となった、作曲家レイフ・ヴォーン=ウィリアムズとの出会いは大きく、ともに「民謡マニア」として、英国国内を旅して民謡を録音・採譜するという活動を共にしました。バターワースは、450以上の民謡をコレクションしたといわれています。
イートン校時代にすでに管弦楽曲を作曲し、オックスフォードでは、のちの英国を代表する音楽的才能を持った教師や仲間に囲まれていたので、卒業後彼も当然プロの音楽家になるかと思われましたが、厳格な父親はそれを認めず、バターワースは、オックスフォードシャーのラドリー・カレッジで教鞭をとりながら、タイムズ紙に批評を寄稿する、というような数年が続きました。しかし、音楽への情熱は冷めることなく、1910年にはロンドンに戻って王立音楽院に入学し、オルガン、ピアノ、作曲理論を再び学びます。
いわば、本腰を入れて音楽家の道を歩こうとし始めた1910年から書き始められたのが、オーケストラによる「2つのイギリス田園牧歌」です。2曲とも5分程度と短く、全曲通して演奏しても10分に満たないかわいらしい曲ですが、どことなくユーモア漂う穏やかなオーボエのメロディから始まる第1曲は、眼前にイングランドの田園風景が広がるような展開を見せた後、民謡収集家バターワースの真骨頂ともいうべき素敵な旋律が様々な楽器で展開し、聴くだけで旅気分にさせてくれます。第2曲もオーボエからスタートしますが、1曲目よりも、より懐かしさを感じさせる穏やかな曲になっています。春のこの時期に聴きたい、しみじみと聴かせる曲です。
バターワースは、生涯でごく少数の作品しか残しませんでした。なぜなら、彼は1914年から始まった第一次世界大戦に志願しフランスの戦場に向かい、1916年の未曽有の大戦闘、ソンムの会戦で帰らぬ人となったからです。戦場に向かう前に、自作を整理し、発表に値しないと思った曲を数多く自ら破棄したといわれています。「2つの田園牧歌」は、バターワース自身も残すことを認めた数少ない作品の中の1曲で、決して彼の代表作ではありませんが、イングランドの田園風景を見事に音で描いた、一幅の絵のような曲です。
本田聖嗣