著作権がこっそり伸びた時代に著作権がなかった頃の「バッハの名曲」を考える
2019年の初頭、日本のマスメディアでの大きな関心事は「平成という時代の終わり」のようです。ほとんど何でも「平成最後の~」をつければよいのではないか、という勢いを感じてしまいます。
確かに今年日本では、平成から次の元号に替わる、という大きなことがありますが、音楽家としては、2018年の最後のこっそり切り替わったことに関心を払わざるを得ません。それは、「日本での著作権の延長」です。正確に言うと、2018年12月30日に、それまで日本では著作権者の死後50年保護されていた権利が、死後70年に伸びました。実に20年も伸びたのです。
EU、米国にならう日本
その原因はTPP。テレビの現場で、「TPPの影響で、タレントさんの写真が似顔絵に切り替わってゆくよ」と聞かされたのは数年以上前でしたが、もともと、EUが1993年、統一に合わせて70年とした保護期間を、98年にアメリカがそれに習ったことがきっかけでした。TPPの原型となった枠組みに、リーマンショック後にアメリカが加入すると、日本も参加が既定路線となり、映画以外は50年だった著作権保護期間が延ばされるという議論が始まりました。アメリカに関してはトランプ大統領当選という大どんでん返しがあり、TPPから脱退してしまい、TPP11と呼ばれるものになりましたが、そこで著作権保護に関する協定もいったん凍結となったはずなのに、日本は2018年のTPP11の条約承認の時に、なぜか著作権保護期間の延長も盛り込まれ、2019年現在、作者の死後70年となっています。
演奏家として、作曲家としては、著作権保護期間が延びたのは良いことのように思えますが、あくまで本人の「死後」ですし、むしろ、存命中の特に若い人たちの作品が、無断、または敢えて二次使用されている現状なども見ると、どちらかというと著作者の親族というより、著作物を扱う団体の儲けを保護しているような保護期間の延長よりも、優れた著作物が生まれる環境を整備し、作品が生まれた段階から保護しつつできるような仕組みも必要かと思います。同時に、音楽などは、「皆様に聴いてもらってナンボ」なので、最近の行き過ぎた著作権料徴収のニュースなどにも、違和感を覚えます。
今日の1曲は、著作権保護などの感覚が全くなかった時代の、名曲、かつ、有名曲です。J.S.バッハの「ト長調のメヌエット」です。ピアノ入門者が必ずと言ってよいほど学習するシンプルな曲ですし、ポピュラーソングにもアレンジされて、「バッハのメヌエット」として世界中で愛されています。
しかし、これは、J.S.バッハの作品では全くありません。作曲したのは同時代のドレスデンのオルガニスト、クリスティアン・ペツォールトの作品ということが分かっています。
そのため、バッハの作品につけられるバッハ作品番号(BWV)も、散逸した作品や偽作につけられる補遺番号をつけて(BWV. Anh 114)という番号で現在は分類されています。
なぜ「バッハの名曲」と思われたのか
どうして、長い間大バッハの作品とされてきたかというと、この作品が、彼が2番目の妻の音楽練習のために贈った「アンナ・マグダレーナの音楽帖」という曲集に収められていたからです。そのころは、現代のように「ピアノ練習曲集」などという便利なものは出版されていませんでしたから、バッハ家など音楽家の家系では、年長者が年少者のために、学習に最適とされる作品を選んだアンソロジーを編み、それをもとにレッスンを進めていたからなのです。J.S.バッハは、子たくさんでしたから、子供のためにも音楽帖を編んでいます。
音楽帖は、主に、その当人・・・この場合は大バッハ本人・・・の作品を、あちこちから集めてきたものなのですが、まれに、まったく他人の作品も混ぜられていたのでした。バッハが、他人の作曲でも「教育的にこれは良い」と認めた作品、ということですね。現在のドイツ中北部から全く出たことのなかったバッハですが、彼は楽譜を取り寄せて、フランスやイタリアのスタイルにも精通していましたから、バッハ自身の「勉強道具」でもあったわけです。
著作権、という感覚がない時代でしたし、「家庭内での私的使用目的」がメインだったわけですから、バッハは悪気なく、ペツォールトの作品を(おそらく無断で)、自分の音楽帖に転載してしまったわけですが、彼の死後、彼自身が大変高く評価され、その作品がくまなく出版されて世の中に知られるようになり、ペツォールト作品は、ヨハン・セバスティアン・バッハのメヌエットとして、知られるようになってしまったのです。ちなみに、ペツォールト作品は、同じくバッハ作として長年知られた、この曲とカップリングのト短調のメヌエットの作品のほかは、数曲が伝わっているだけで、ほとんど残っていません。
本田聖嗣