「ソナチネ」作曲のカバレフスキー 旧ソ連で子どもたちへの作品を多く残した

   年末は、新年を迎える準備などもあって、忙しくなりますね。大掃除に買い出しに、おせちの料理に年賀状......。クリスマスが終わり、年が改まるまでの数日間は、会社や学校がお休みになっても、いろいろとしなければいけないことが多く、あわただしくなります。

   音楽をかけて作業をすると、不思議とはかどることがあります。特に掃除など、積極的にはやる気が起こらない作業には、軽快なリズムの曲がベストマッチです。今日は、そんな年末の忙しい時期に聞きたい、ピアノのための「ソナチネ」を取り上げましょう。

力強く始まる第1楽章の冒頭の楽譜
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ピアノのレパートリーを多く残した

   作曲したのは、ロシアの作曲家、ドミトリー・カバレフスキーです。たまたま私と同じ12月30日(ただし当時のロシアの旧暦なので、現在の西暦に直すと12月17日あたりだそうですが・・)が誕生日なので、親しみを感じてしまうのですが、1904年、ロシアのサンクトペテルブルクに生まれました。父親は数学者で、国の保険制度にかかわった仕事をしていて、息子にも経済や数学の道を選ばせたかったようですが、カバレフスキーは早くから文系の才能を表し、第一次世界大戦が始まりペトログラードと名前を変えた故郷の幼年学校時代から、音楽に興味を持ったようです。大戦が終結に向かい、ロシアでは革命の大波が起きつつあった1918年、一家は首都になったモスクワに移り住みます。カバレフスキーは、音楽学校と絵画学校で学び、同時に語学の成績も優秀で、英語をはじめ数か国語を流暢に話すようになりました。

   最終的に彼が選んだのは音楽で、名門モスクワ音楽院に進学することになります。特にピアノが得意で、若いころから即興演奏にも長け、演奏家より作曲家を目指すようになります。

   1920年代、彼は作曲家として活動し始め、室内楽や歌曲も作りましたが、なかでもピアノのレパートリーを多く残しました。そんな彼が、1930年に書いた曲が「ソナチネ 第1番」です。

社会主義ソビエトで出世、作曲家として要職を歴任

   日本では、音楽教育の現場で、特に一昔前、よく「ソナチネ」という形式が持ち入れられました。大規模なピアノ曲になりやすい「ソナタ」の形式を、提示部~展開部~再現部という形式は保持しながら、小さく短くしたものが「ソナチネ」で、特にバロック~古典派の時代にたくさん作られたため、弾きやすい作品が多く、子どもの教育現場で、「ソナチネアルバム」的な題名のものが、多用されました。

   カバレフスキーは決して、この「ソナチネ 第1番」を子どものために書いたとは言っておりません。しかし後年、ソビエトとなり、多くの作曲家が当局のプレッシャーを感じるようになってからも、カバレフスキーは、社会主義的国家の枠組みの中で地位を極め、同時に子ども向きの多くの作品を作り、幼年教育にも力を入れることになります。そんな、彼のもともとのネイチャー・・持って生まれた性格傾向・・・がこのソナチネにも反映されています。

   年少者のための「単純明快さ」と、社会主義ソビエトが掲げた「社会主義リアリズム」が、妙に響きあったのか・・・カバレフスキーの音楽は、同世代のプロコフィエフと比べても、より明るく、明解なものが多く、そんなことを考えてしまいます。そのため、上記プロコフィエフや有名なショスタコーヴィチなどは、「当局から睨まれた」抑圧された状態で作曲を続けなければいけなかったのに、カバレフスキーは、出世街道を驀(ばく)進し、ソ連の作曲家として、要職を歴任します。

   3楽章からなる「ソナチネ 第1番」は、少しピアノを勉強した子どもでも弾ける難易度でありながら、力強く軽快な曲調を持ち、カバレフスキーの音楽そのものと言えます。ちょうど旧西側の人間が、東側の運動選手を見ているような、そんな気分になりますが、同時に不思議と爽快感も感じられます。

   年末の大掃除や正月準備も思わずはかどる、モダンかつ元気なピアノ曲です。

本田聖嗣

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