頭脳警察、結成50年目前
「生きた伝説」最後のツアーか

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   もし、このアルバムジャケットに見覚えがあるという方は相当にマニアックなロックファンということになるだろう。しかも、70年代の日本のロックに精通している方だ。

   2018年の9月に発売された頭脳警察の二枚組ライブアルバム。タイトルは「BRAIN POLICE RELAY POINT 2018」。今年の1月の渋谷のライブハウスと5月の横浜赤レンガ倉庫での演奏がそれぞれに収められている。そして、「2019年結成50周年に向けての中継地点!」というコピーがついている。

   そのアルバムジャケットは、1972年に発売された二枚目のアルバム「頭脳警察セカンド」と同じ場所で同じ絵柄で撮影されたものだ。

   46年後の二人が同じように映っている。


「BRAIN POLICE RELAY POINT 2018」(テイチクエンタテインメント、アマゾンHPより)
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立て続けに発売中止・発売禁止

   頭脳警察は69年に結成されたPANTAとTOSHIの二人組。72年3月発売のデビューアルバム「頭脳警察1」は歌詞の過激さから発売中止、5月発売の「セカンド」は、9曲中3曲が放送禁止、更に発売一か月後に回収、発売禁止になってしまった。

   デビューから二枚のアルバムが立て続けに発売中止・発売禁止になったバンドやアーティストは彼らだけだろう。75年の解散までに6枚のアルバムを制作、90年に再結成、2007年に再々結成、今も活発な活動を続け来年の50周年を迎えようとしている。

   PANTAは平成最後の年末を前にこう言った。

「今まで30周年とか40周年とかやったことがなかったんですね。でも、真っ先に抹殺されそうだったグループがここまで生き長らえて現役最長寿になろうとしているわけですから、これも何かの因縁なんでしょうし、思い切りやろうと思ってるんです」

   50年前のことだ。

   もはや歴史の教科書の中の出来事と言ってもいい。音楽だけでなく若者たちを取り巻く社会状況が今では想像もできないくらいに違っていた。

   何が違っていたか。

   政治に対しての意識が違った。

   頭脳警察が時代の寵児として脚光を浴びるのも、アルバムが立て続けにお蔵入りになってしまったのも、ロックと政治という局面での最前線に立っていたからだ。立つことになってしまった、といった方が良いかもしれない。1969年。彼は19歳だった。

「自分ではイデオロギーよりも罪のない人を殺す権利があるのか、目には目をというヒューマニズムに衝撃を受けた、という感じだったんです。読んだときにガツンと来て、次の日のコンサートでやろうと。最初は穏当なウィスパーヴォイスでと思っていたのにステージに出たら頭に血が上ってしまってアジテーションみたいに叫んでた。一回だけのつもりだったけど、全国からあれを歌ってくれと呼ばれるようになりやめられなくなってしまって。俺たちにとっては一部なんだけど世間的にはあれが全て。ヒット曲なんでしょう(笑)」

「戦争宣言」「銃をとれ」

   すでにバンド活動をしていた彼が学生集会で知り合った友人から「読んでみな」と勧められた本の中にあったのが、当時誕生したばかりの「共産同赤軍派」の「世界革命戦争宣言」だった。「君たちにベトナムの民を殺す権利があるなら我々にも君たちを殺す権利がある」という「宣言」にギターとパーカッションでリズムを付けた演奏が喝采を浴びた。ドイツの劇作家、ブレヒトの詩に曲を付けた「赤軍兵士の詩」や「銃をとれ」とともに「頭脳警察革命三部作」と呼ばれるようになった。ロンドンで登場した同じ編成のバンド、T・REXが紹介される前だ。

   ベトナム反戦デモや授業料値上げ反対。大学や高校がデモやストで揺れていた。69年には大学や高校の「紛争校」が、それぞれ100を超えている。

   頭脳警察は、そんな時代が押し上げたヒーローでもあった。そして、レコード会社にすれば、それだけ人気があるのなら「レコード出そう」と持ち掛けるのも当然の成り行きということになる。

「でも、あの曲はやめた方が良いですよ、もっとポップな曲もあるしレコーディングするのなら他のにした方がって言ったの。俺たちはクールでしたよ。いや、大丈夫だ大舟に乗った気でいてくれっていうんで京都府立体育館と東京体育館でライブレコーディングして、さあ発売という時に浅間山荘が起きた。こんな時に赤軍派の『戦争宣言』はどう見てもダメでしょう。あの曲を外してスタジオ録音で『セカンド』を作った直後にイスラエルのロッド空港で銃の乱射が起きた。『銃をとれ』も駄目でしょうと、それも出なかった」

   歴史のおさらいである。

   それだけ全国の大学・高校に波及した学園闘争の波は警察と学校側の力で「正常化」され、キャンパスには無力感や挫折感が広がって行く。

   行き場を失った若者たちの一部は自暴自棄的とも言えるより過激な行動に走る。長野県の浅間山荘に立て籠って警官隊と銃撃戦を展開した連合赤軍事件やイスラエルのロッド空港での学生の乱射事件もそんな流れの中で起きた。

   聞き手が求めるものを歌う。もし、それが時代の要求なのだとしたら、彼らはプロとしてそれに従ったということだろう。そうした「三部作」を外して3枚目のアルバム「3」が出たのは72年の10月だった。

「やっと陽の目を見ましたね。レコード会社からは麻丘めぐみと一緒にヒット賞をもらいました(笑)。でも、最後の3年くらいはそういうパブリックイメージとの戦いで辛かったです」

「ロックに政治を持ち込むな」

   求められる音楽とやりたい音楽とのジレンマ。それは一つの時代のシンボルになってしまった人は誰もが経験することだろう。

   頭脳警察は75年の大晦日、渋谷のライブハウス「屋根裏」で解散。PANTAはソロになった。ラブソングのアルバムやより時事的で叙事詩的なアルバムを発表してきている。

   2018年11月に六本木のビルボード東京で再現ライブを行ったPANTA&HALの「マラッカ」「1980X」はともに鈴木慶一プロデュースの名盤。前者はマラッカ海峡を舞台にして世界を俯瞰したような内容で、後者は80年代初頭の東京の空気を切り取ったコンセプチュアルなロックアルバムだった。

   同時に石川セリや沢田研二らにも曲提供する一方、別ユニットとして赤軍派のリーダーとしてアラブに向かった重信房子が詞を書いたアルバム「オリーブの樹の下で」も発表している。

   頭脳警察50年。

   世の中も若者の意識も変わった。

   その最たるものが、一昨年、フジロックで起きた「ロックに政治を持ち込むな」という議論だろう。

「馬鹿馬鹿しいというか、驚きました。俺たちはロックをやること自体が政治と関わることだと思ってましたから。それはロックに生活を持ち込むなと言ってるのと同じでしょ」

   すでに年末から来年にかけてのソロのライブの予定も発表されている。頭脳警察としてのツアーは今、ブッキング中だという。

   「生きた伝説」を体験する最後の機会になるのかもしれない。

(タケ)

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