誕生日の独立 宮下奈都さんは息子が独り立ちした後も彼の好物で祝う
ESSE 11月号の「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」で、作家の宮下奈都さんが「誕生日の夜」について書いている。しっとりと家族愛がにじむ、好エッセイだ。
「クリスマスが誕生日の友人がいる。損をしている、という。誕生プレゼントをクリスマスプレゼントと兼ねて贈られるのだそうだ...八月三十一日が誕生日の友人も、損をしている、という。夏休みの最終日...宿題の大詰めでみんな忙しいから...」
そんな他愛もない話から、ゆるりと始まる。
「かくいう私の誕生日はお正月に来る。それで損をしたと思ったことは一度もない」という宮下さん。子どもの頃の三が日はケーキ屋もお休みで、誕生日の食卓はおせち料理ばかりである。それでも、誕生日はとても幸せだったという。
「なにしろ、家族みんなが家にいる。私の誕生日を祝ってくれる。それがどんなにうれしかったことか」...そう、この随筆のテーマは「家族」。続く一文で後半へと展開する。
「それなのに、私自身は子供たちをみんな平日に産んでしまった。子供たちは普通に起きて、普通に学校へ行って、帰ってくる。それはあたりまえのことなのだけれど、誕生日がいつもお休みだった身からすると、なんだか物足りない」
誕生日が土日に重なる年もあるはずだから、ここで筆者がいう「平日」とは祝祭日などではない普通の日といった意味である。
不在の子を思いつつ
誕生日の夜に何を食べたい? 宮下さんは3人の子に尋ね、年を重ねるごとにそれぞれ「野菜のたくさん入ったミートローフ」「鶏肉をパリッとオーブンで焼き上げたの」「デザートに果物をいっぱい」などなど、祝いの皿が次第に固まっていったそうだ。
ご長男は去年、独り立ちのために家を出たという。
「それほどさびしくはない。心配もない...ただ、不在を強く感じたのは、やっぱり誕生日だ。十九回目にして初めて、生身の本人とともに誕生日を祝えなかったときはしみじみした。ああ、こうやって誕生日が独立していくのだと思った」
誕生日の独立とは面白い表現だ。本人の独居開始により、その祝日も親から離れていく。
「これまでは、産んだ日と、生まれた日が、混ざったお祝いだった。家族の誕生日だったのだ。本人はいなかったけれど、ミートローフを焼いた。今頃楽しい誕生日の夜を過ごしているだろうかと考えながら、残った家族で祝った」
ご次男も間もなく18回目の誕生日を迎え、来年は家を離れる運びだという。
「家族がひとりずつ独立した誕生日を迎えても、私の誕生日は不動だ。まだしばらくは、彼らもお正月には帰省してくるんじゃないかと期待している」
なるほど、「正月に生まれてよかった」というオチである。
家族の思い出を創る
私は新しい手帳を買うたび、真っ先に血縁者の誕たな生日を新年齢と共に書き込むことにしている。半生を振り返れば、親の誕生日はある年を境に書く必要がなくなり、入れ替わるように子や孫のそれが増えていった。誕生日は、両親や生地と同じく自分では決められない。だからこそ特別で、個人最大の祝日なのだ。
誕生日を手料理と結びつけた宮下さんの随筆は、ここは表現を慎重にすべきだが、いかにも「主婦作家」らしい。わが子それぞれの誕生日を、各自の好物で祝う。そして子どもが独立しても、家族の習わしは「元誕生日」の祝宴として引き継がれていく、数十年の営みである。その喜びは、男でも女でも、自ら祝宴の台所や食卓に携わってこそ深いものになる。
もちろん、ケンタッキーやマクドナルドがいいという子もいる。その場合は、大量にテイクアウトし、「好きなだけどうぞ」とやればいい。いつもの外食ではなく、家に持ち帰って祝うという非日常のひと手間が、共通の、何か大切なものを残すことだろう。
家族のかけがえのない思い出は、無意識に「できる」ものではない。手料理と同じく、たぶん、心を込めて「つくる」ものなのだ。
冨永 格