晩年のモーツァルトの傑作室内楽 「クラリネット五重奏 イ長調」

   先週(9月13日)は、フランス近代の作曲家、ミヨーの管楽器による室内楽をとりあげましたが、今週は古典派の名曲、モーツァルトの「クラリネット五重奏 イ長調 K.581」を取り上げましょう。


モーツァルトの時代に存在したといわれるバセット・クラリネット(当時はバス・クラリネットと呼ばれていたらしいが現代のバス・クラリネットと区別するためにバセット、と呼ばれている)の復元楽器。先端が曲がっていて普通のクラリネットに比べても抜けが悪そうで、あまり音が出るように見えない
モーツァルトの時代に存在したといわれるバセット・クラリネット(当時はバス・クラリネットと呼ばれていたらしいが現代のバス・クラリネットと区別するためにバセット、と呼ばれている)の復元楽器。先端が曲がっていて普通のクラリネットに比べても抜けが悪そうで、あまり音が出るように見えない
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18世紀初頭に発明された新しい管楽器

   モーツァルトがこの曲を書いたのは1789年、つまりモーツァルトも訪れたフランスではバスチーユ監獄が襲撃されて、革命の火ぶたが切って落とされていました。若いころはフランスやイタリアや遠く英国まで訪れて音楽の腕を磨き、見聞を広めたモーツァルトでしたが、33歳のモーツァルトは故郷ザルツブルグを離れて、音楽の都、ウィーンで活躍していました。故郷では自分の実力が認められないと感じ、20代半ばでウィーンに出てもう8年近く、その間にモーツァルトの作品は随分と評判になりましたが、このころは少し人気が下降気味、しかし、ウィーンでの豪奢な生活に慣れたモーツァルト一家は、経済的に苦境に陥っていたのです。

   しかし、そんな中でもモーツァルトの才能はますます磨かれていきました。若干35歳で亡くなった彼にとって、33歳はもう「円熟期」で、長年の蓄積に磨かれた彼の作曲技法はますます冴えを見せ、あとからあとから湧いてくる楽想を次々と傑作にまとめ上げるのです。

 

   このころ、フランスのシャリュモーという楽器を原型とし、18世紀初頭に発明された新しい管楽器が普及し始めます。高音のトランペットの音に似ている音を出すというところから、小さなトランペットの意味である「クラリーノ」の名にあやかって「クラリネット」と呼ばれるようになりました。

   現代のオーケストラではソプラノ・クラリネットとして、B♭管と、A管が主に使われていますが、まだまだ開発の初期段階であった当時は、制作の試行錯誤が続いており、それより少し下の音域を出すことのできる、「バセット・クラリネット」という楽器が存在しました。現代のバス・クラリネットとは違い、もう少し上の音域を担当するように考えられたのですが、音があまりよく出なかったためか、この楽器は廃れてしまい、残っていません。

シュタドラーの奏でる低音域の音に魅せられて

   モーツァルトは、1770年代からクラリネットを自作の中に取り入れていますが、ウィーンには、シュタドラー兄弟というクラリネットの名人がいました。2人とも宮廷の音楽家で、特に兄のアントンは年齢が近いこともあってモーツァルトと大の親友となりました。

   モーツァルトはアントン・シュタドラーの奏でるクラリネット、特にその低音域の音に魅せられていたので、クラリネットが活躍する室内楽を構想します。ヴァイオリン2台、ヴィオラ、チェロの4人を加えて「クラリネット五重奏 イ長調 K.581」となったこの曲は、当初はバセット・クラリネット用、つまり現代のクラリネットでは低すぎて音が出ない音域を使って書かれましたが、当時のウィーンでも、アントン・シュタドラーを除いてはこの楽器を上手に使いこなすことのできる奏者がいなかったらしく、1800年代になって、通常のソプラノ・クラリネットA管で演奏できるようにした楽譜が出版され、広く普及することになります。

   クラリネットという新しい楽器をも盛んに自作に取り入れていったモーツァルトと、音楽の都だからこそ存在したクラリネットの名手シュタドラー、そして、二人の友情が重なって生み出された「クラリネット五重奏 K.581」は、シンプルな中にもクラリネットの温かい音色を生かした傑作となり、以後クラリネットを使った室内楽を書くすべての作曲家に影響した、といっても過言ではないほどの存在となります。

   この曲が完成されたのは、1789年9月29日の秋、初演は同じ年の12月22日、ウィーンの宮廷劇場においてでした。秋の少し寂しくなるシーズンに、やさしく語りかけてくれる、そんなモーツァルトの名曲です。

本田聖嗣

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