駄洒落を素直に楽しんだ江戸庶民 「大らかな遊び心」を現代にも
■『いろは判じ絵』(岩崎均史著、青幻舎)
この夏、京都・細見美術館で展示されていた「江戸のなぞなぞ 判じ絵」展を観覧する機会があった。
判じ絵とは、「絵を判じて(解く、推理する)答えを導き出す遊びで、江戸時代に庶民に広く流行した"絵で見るなぞなぞ"」(同美術館HP)である。
例えば、湯気を立てている蒸し器に鈴が載せられた絵。これは「すずむし」と読む。カエルが茶を点てる絵は「茶釜(ちゃがま)」、頬に蝶がとまる絵は「包丁」。
直に絵をご覧になりたい方は、「判じ絵」で検索いただければ、多数の画像を見つけられるだろう。
本書は、そうした判じ絵をいろは順で並べたビジュアルな文庫本だ。判じ絵を示す各ページ左隅に答えがあるが、本のカバー裏手から、答えを隠す付箋を切り取ることができるのも面白い。
判じ絵と時代背景
著者の岩崎氏は、三十年にわたって判じ絵を研究してきたという。Amazonで調べると、判じ絵の本は単著だけでも7冊ものにしておられるようだ。
その著者によると、判じ絵を朝に各家に放り込み、午後に答えを売り歩く商売まであったというから驚きだ。本書の前書きや末尾の対談によって、判じ絵の解き方の法則から時代背景、その妙味などが簡潔に示されている。
寛政の改革以降は検閲があったという。それをかいくぐって流通したのが春画だが、判じ絵は総じて検閲後の印がつけられているらしい。確かに春画の過激さとは程遠いが、それにしても下品な絵柄がある。放屁の図など頻繁に出てくるが、これは検閲を通っている。往時の公序良俗には反しなかったわけだ。
不埒と下品の線引きは微妙だが、現代でも子供向け漫画には、ひどく下品なものがありつつ、下半身そのものは描かせない。倫理上の線引きは、存外、今昔変わらないのかも知れないと思うと興味深い。
一点、見逃せないのが、当時の識字率の高さである。
絵で何かを表すのだから、字が読めない者向けの娯楽かと思いきや、違うらしい。判じ絵は、表から透けないよう絵の裏面に答えを記す例があるという。答えが読めなければ楽しめない。識字率の高さという土台の上に花開いた文化なのだろう。
駄洒落を楽しむ余裕
判じ絵は、言ってしまえば駄洒落である。
漢字の読みだけで何通りもあり、同音異義語も豊富な日本語にあっては、駄洒落のバリエーションは無数に考えられる。さらに上手にひねれば発想はもっと広がる。
ひねった有名な例がある。古い商店に「一斗二升五合」と大書した額を見かけることがあるが、「五升の倍(一斗)桝桝(一升桝二つ)半升(一升=十合)」つまり「御商売益々繁盛」と読ませるわけだ。
そうした江戸の駄洒落の絵解き版たる判じ絵を見ていくと、「くだらない」「それはないだろう」などと言いながらも、頬が緩んでくる。
別に後に何が残るわけでもない。興趣というほどのものもない。ただ一時の娯楽に過ぎないものではある。だが三百年の時空を思えば、江戸庶民の大らかな遊び心に同調する時間は悪いものではない。
比べて、生真面目な建前がまず求められる今の世は、駄洒落に冷淡だ。
駄洒落好きの某国会議員は、政府の公職に就いた途端、駄洒落を封印せざるを得なかったという。窮屈極まりないとも思うが、高位高官ともなれば、不真面目な一言がすぐに批判や炎上に結びつく時代である。致し方なかったのだろう。
では私的な場面であれば駄洒落は許されるか。否。「オヤジギャグ」として蔑まれる。ふと思いついた駄洒落をうかつに話せば、家族にさえ白い眼で見られる。
そもそも「オヤジ」ギャグという言葉が否定的な意味を持つこと自体、中年男性への差別ではないか。五十男の評者は、つい、そう疑いたくなる。
だが、世は多様性を重んじ、少数者を尊重する時代である。マジョリティーたるオヤジたちは、その反作用として、これまで以上に冷たい視線をも甘受するべきなのかも知れない。
そう思って江戸時代の世相を空想する。何しろ判じ絵が流行った時代である。当時はオヤジ達にとって、今よりはもう少し住みやすい世の中だったに違いあるまい。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)