ドヴォルザークが休暇中に作った「ユモレスク」 曲想は遠い異国の地で湧きあがった 

   夏はバカンスシーズンです。日本ではお盆の周辺に集中する「社会人の夏休み」ですが、欧米では、数週間から1か月の長期にわたることも珍しくなく、しばし日常の生活を離れてリフレッシュする期間となっています。今年のように世界的に猛暑が続くと、長いバカンスが欲しくなりますね。

   今日取り上げる1曲は、そんなバカンスシーズンに書かれた曲、ドヴォルザークの「ユモレスク」です。

 
意志の強さがうかがえる「地道な作曲家」ドヴォルザークの肖像
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アメリカの音楽に刺激を受け、書き溜める

   アントニン・ドヴォルザークは、ボヘミア、現在のチェコの出身の作曲家ですが、1892年、51歳の時、故郷から遠く離れた新大陸アメリカの、音楽院の院長として招かれます。ヨーロッパを離れることに大変慎重だったドヴォルザークですが、趣味の鉄道という点でも新大陸アメリカは魅力的で、最終的にはアメリカ行きを了承します

 

   アメリカは鉄道趣味だけでなく、本業の音楽についても、さまざまな刺激を与えてくれました。黒人霊歌を歌う歌手を自宅に招いて歌ってもらったり、北部の白人たちが、南部の黒人をカリカチュアライズしてショーにする「ミンストレルズショー」や、そのころアメリカ音楽の祖として作曲し始めていたフォスターの音楽などにも興味を持ったと伝わっています。

   ドヴォルザークは、毎日40小節作曲する、と自分で決めていた、大変地道な作曲家でした。アメリカの音楽に刺激を受けて、思いついた旋律やアイデアの数々も、しっかり書き留めてありました。

   そして、1894年...すなわちアメリカに渡って2年目の夏、彼は故郷である中央ボヘミアのプルシーブラムで、夏のバカンスを過ごしていました。その時、彼は、アメリカで書き溜めた音楽のスケッチをもとに、8曲のピアノ曲を書き上げます。遠い異国の地で湧き上がってきた楽想が、故郷でのバカンスに結実する・・・そんな雰囲気が満載の、メロディーメーカーのドヴォルザークらしい、「気軽な小品集」というものが出来上がりました。

英語の「ユーモア」と同じ語源

   当初、この曲集にタイトルをつけずにいたドヴォルザークですが、長年の取引がある、ドイツの出版社、ジムロック社に送る直前になって、「ユモレスク」というタイトルを楽譜に書き込みました。ドイツ語では「フモレスケ」とも呼ばれる「ユモレスク」――もちろん英語の「ユーモア」と同じ語源で、これはフランス語です――は、「奇想曲」と似たような意味合いの性格小品で、タイトルに深い意味はないのですが、しいて訳せば「気軽な軽い小品(集)」といったところでしょうか。ドヴォルザークの気分がまさに「ユモレスク」だったのでしょう。

   全部で8曲のなかの第7番が、名ヴァイオリニスト・クライスラーによって、ピアノ伴奏を伴うヴァイオリン独奏に編曲されたことなどもあり、最も有名です。リラックスした感じ始まる主部の部分と、ボヘミアの哀愁を感じさせる中間部の旋律の対比もすばらしく、「ドヴォルザークのユモレスク」として単独で演奏されることも多く、さらにはクラシックのジャンルも超えて、広く親しまれている名曲となっています。

 

   ドヴォルザークにとって、まことに実り多い、「夏のバカンス」だったのかもしれません。

本田聖嗣

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