「外酒」の誘惑 大竹聡さんがベンチでの一杯を愛する理由

   週刊ポスト(6月22日号)の「酒でも呑むか」で、ライターの大竹聡さんが「春秋の外酒」を楽しそうに書いている。暑くもなく寒くもなく、そぞろ歩きが心地よい季節には、公園や河川敷など、野外でノンビリやるのも悪くない。

   居酒屋紀行の草分け、太田和彦さんら、酒場を巡り歩く「呑兵衛ライター」は多い。居酒屋の紹介にせよ、銘酒や酒肴のウンチクにせよ、彼ら彼女らの活動時間はおのずと夕方からが中心となる。ところが大竹さんの場合、昼酒にまつわる著作が結構あって、私の本棚を確認したら「ひとりフラぶら散歩酒」(2013年、光文社新書)が並んでいた。まさに得意分野と思われる外酒コラム、趣旨は序盤のこのくだりに尽きよう。

   「この陽気である。少し汗ばんでも風がすぐに乾かしてくれるから、なんとも気持ちいい。途中、休憩しながら飲む酒の種類は、なんでもいい...陽気のいいときの外の酒は何でも格別である」...うん、そうそう。

   若い頃から青空の下での酒が好きだったそうだ。30年近く前、まだヨチヨチ歩きの娘さんを連れて公園に行く。子どもの世話は夫人に任せ、大竹さんは持参したビールとつまみを楽しみつつ、芝生で横になるのが常だったという。

「格好をつけて文庫本なんか持っているが読みゃしない。握り飯ひとつ、玉子焼きひと切れで、キューっとやれば、もう眠いのだ」
ワンコインで公園酒。涼風が罪悪感を吹き飛ばす?=東京都杉並区で、冨永撮影
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焼き芋とウイスキー

   秋には秋の外酒がある。住んでいた団地の空き地で、落ち葉を集めて盛大に焚き火をする。クレームのひとつも来そうなものだが、焚き火にサツマイモを突っ込んで焼き芋にし、あらかじめ近所の子に配って懐柔したのだという。

「これで万端整って、ウイスキーを飲む。というより、キャップに注いで舐める。ビリビリとして、口の中が熱くなり、喉を通ると胃を温めてくれる。晩秋の暮れ方の、この1杯も最高でしたな」

   大竹さんのお住まいは東京西部の多摩丘陵に近く、丘の斜面や、くねくねと曲がった道の途中に小さな公園、つまり昼酒スポットがたくさんあるらしい。

   「河岸の変哲もない道にも、ときに木製のベンチが置かれている。そこは、春には満開の桜を楽しませる道で、今は具合のいい木陰の道だ」。続いて、序盤の外酒賛歌に呼応する記述が登場する。私が本作で最も好きな部分である。

「コンビニのサンドイッチと小瓶のワインで十分。せいぜいが、30、40分の休憩であり、その先はまた、あてどのないそぞろ歩き」

   「気がつけば夕刻が近い」に始まる最終段落は、酒のみなら思わず腰が浮く寿司屋の描写になるのだが、そちらは原文をお読みいただきたい。

野外で薄まる不健全

   お酒が絡む随筆は、左党を「いますぐ呑みたい」気持ちにさせれば、読み物として成功といえる。一にも二にも筆者の肌感覚と、それをどう表現するかの勝負になる。大竹さんのように、握り飯やサンドイッチで呑める人は「真正」の呑み助であり、飾らない筆致が同輩の共感を誘うはずだ。

   休日の昼酒はアルコール中毒の予兆とも言われるし、下戸の方は「予兆どころかすでに患者ではないか」という疑念を持つかもしれない。しかし、昼酒にしかない旨さというのも確かにある。せっかくなのでカクテルに例えるなら、まだ元気な胃腸にたっぷりの時間を加え、数滴の背徳感を垂らしてシェイクしたような味わい、とでもいおうか。こいつを何百杯も飲んだ私が言うのだから、間違いない。

   いま思い出した。テレビ番組だったか随筆だったか、昼食のイタリアンを用意しながら、味見だけで白ワインを1本空けてしまう塩田ノアさんのエピソードが好きだ。

   同じ昼酒でも、大竹さんは自宅ではなく野外での一杯について書いている。昼から呑むことの不健全さが、アウトドアの爽やかさで半ば中和され、背徳臭はかなり薄くなる。

   彼はどうか知らないが、私はこれを、自分に言い聞かせるように書いている。

冨永 格

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